アタゴオルは猫の森

 id:kuroyagisantara が,ますむらひろし原作の映画『アタゴオルは猫の森』を観に行くというのでついて行く。札幌シネマフロンティアでは公開開始から2週間で打ち切りになるというので,どんな出来かを確かめに。
――これはひどい。一人で来ていたのなら,開始5分で退館していたと思う。
 コマの1つ1つは,ていねいに作られている。1シーン単位で見ると,良く動いている(ビデオクリップとしてならば秀作)。ところが場面と場面が論理的に繋がらない。シークエンスが考慮されていないために,1分単位ですら話が成り立っていない。その無理を登場人物のセリフで補おうとしているのだけれど,はっきり言って下策。しかも,セリフがまったくもって説得的で無いし。解説を聞かなければ分からないようなガジェット(仕掛け)で乗り切ろうとするのは,子供向け作品としては失格だろう。横に座っていた児童達が途中で退屈そうにしていたのは当然だと思う。
 そのセリフにしても,キャラクターが立っていないために不明解。主人公のヒデヨシ(声:山寺宏一)をトラブルメーカーに配置したのなら,とことん不条理なまでにコミカルさを追求すべきだったように思われるところ。
 このアニメ作品の制作者には,ストーリーテリングを初歩から勉強しろと言いたい。
 救いがあるとすれば,ヒデコ(声:小桜エツ子)の演技が良かったことでしょうか。
 あと,谷山浩子さんが声の出演をしていたようなのですが,EDテロップを見るまで気がつかなかったよ……
* 引用画像 ASIN:B000A6KACM

『ローズ・イン・タイドランド』

Rose in Tideland

 同じ映画館で上映されていた,テリー・ギリアム(Terry Gilliam)監督の『ローズ・イン・タイドランド(Rose in Tideland)』を続けて観ました。
http://www.rosein.jp/
 もう,「すごい」の一言。なんか言語中枢をヤラれてしまって,どう表現したらいいのやら……
 ファンタジーでも,グロテスクでもない。シュールではあるけれど,それもちょっと違う。ルナティックなイメージを,よくぞここまで映像に出来るものです。

映画版 『笑う大天使』

 シアターキノにて,川原泉原作の映画『笑う大天使(ミカエル)』を観る。
http://www.michael-movie.com/
以下,ネタバレを含みます。
 失敗作。
 ものすごく「嘘っぽい」造りです。でも,それが悪いわけじゃない。開始早々,いかにも合成しました〜という学園の全景が出てくるのですが,「嘘っぽい」ことを堂々と主張しているので嫌みにならない。
 脇役陣の演技はひどかったけれど,怒り出すほどではない。メインの3人は「猫をかぶったお嬢様」なので除外しますが,同級生達の立ち居振る舞いは何とかして欲しいと思いましたけれど(あのね,本当に所作の美しい人ならば歩いている時に上半身は揺れないの。ガニマタ歩きで足音を立てる「お嬢様」の群れは,観ていて悲しかった。)。
 問題なのはプロット。張っておくべき伏線がない。エピソードとして「殿下のお見合い」というのが出てくるのだけれど,これが何の描写もなく唐突に会話に出てくる。原作で他にも色々あったエピソードのうち,この話を中心に据えたのは適切な選択だと思う。原作のエピソードを改変し,殿下の職業と「家族の発見」を結びつけたのも賢明。しかし,盛り上げに必要な描写すら省かれてしまっているので,最後での強引さが目立ってしまう。誘拐事件の前振りとなるはずの写真も,観客に見えているのは裏面だけ。伏線になっていませんでしたね。他にも「麦チョコ」の扱いなどは浮いてしまっていたし。
 そのくせ,無駄なところに労力を注いでいるんですよ。本筋とは関係ない戦闘シーンを長々と見せつけられるのだけれど,そんなものはマンガちっくなコマをちょっと挟んでおくだけで良かったのに。それが,海の向こうから連れてきた悪役がイタリア語で大熱演。「Signorita Signorina! これはB級映画なんですから,もうちょっと嘘っぽくやってくれないと……」と思う(伊語も少しは聞き取れるので声に注意していたのですが,主演の女優らより真剣に演じているのが分かって,申し訳なくなった)。さらにはVFXをこれでもか!と多用。バカバカしくあるべきカンフー・アクションの場面を真面目に造られると困る。こうなると,もはや痛々しい。
 監督の小田一夫氏はVFXスペシャリストだそうですが,それ故の失敗でしょうね。特殊技術を見せることがメインになるようでは本末転倒です。

細田守『時をかける少女』と近藤喜文『耳をすませば』の相同

 細田守監督の映画『時をかける少女』を観てきました。
 良かった。
 特筆すべきは声の演技。例えば随所に組み込まれているキャッチボールをするシーン。「気怠い日常」を表現する場面だが,ここで過剰な演出をされたり,逆に素人芝居をされたら台無しになるところ。そこを無理のない,のびのびとした,表情豊かな声で魅せてくれた。主役の紺野真琴を演じる仲里依紗の声は,聞いているだけでも楽しい。もっとも,不自然なところもありましたけれどね。後ろの方に真琴が駆けていくのをカメラが追いかける場面があるのですが,なんか「息を切らして走っている」のではなく「えっちなことをして喘(あえ)いでいる」ような気が……(それも一興でしたが)。
http://www.kadokawa.co.jp/tokikake/index.php?cnts=info#20060404 (予告編)
 映像は,とても滑らか(いかにも東映アニメーション仕込み)。輪郭線を太くし,のっぺりとした色塗りにして陰影を抑え,あえて「セル絵らしさ」を強調していたように感じましたが,貞本義行がキャラクターデザインした絵を動かすための最適化でしょう。
 全体的にホワイトを混ぜたような色指定でしたが,子供でも大人でもなく,梅雨の6月でも夏休みの8月でもない,「17歳の7月」というあいまいな季節を映し出せていたように思います。
 脚本も上手い。タイム・リープ(時間跳躍)という道具立てを物語の中に組み込むのに失敗すると,「どうしてあたしが,こんな能力を?」という逡巡に陥ってしまいかねないところ。そこへ本作では「魔女おばさん」こと芳山和子というキャストを再配置することで,あっさり解決。

 和子「タイムリープって,そんなに珍しいものじゃないから」

 音楽は他の構成要素と比べれば控えめ。ある瞬間を除いて低く低く曲が流れ続けていたものの,主旋律が湧き上がってこない。それだけに,タイム・リープのシーンで強く緩やかに奏でられる『ゴルトベルク変奏曲』(Goldberg Variations, BWV988)が一際引き立っていました。最もSF的な場面を彩るのは,クラシックなピアノの調べ。しかも『ゴルトベルク変奏曲』は,最初に主題(Aria)が提示され,それが30回に渡って変奏がなされた後,やがては最初の主題に戻ってくる(Aria da Capo)という構造を持つ楽曲。反復を繰り返した後の回帰という『時をかける少女』のテーマを『ゴルトベルク変奏曲』の旋律で暗示しようとしているのだ――というのは深読みのしすぎでしょうか。


 とにかく,作品としてみると,とても良い出来です。ケチをつけるのが難しいくらい。原作を読んでいなくとも,原田知世主演の映画を観ていなくとも,もちろんコミック版を知らなくともストーリーを楽しめる。
 そこで敢えて議論提起するとすれば,テクストの問題としてではなく,コンテクストとして『時かけ』をどう位置づけるかでしょう。
 かつて,前島賢id:cherry-3d)は斯く叫びました。

 「スレイヤーズが好きだった十代の僕を,今の僕はどうやって肯定したらいいんですか!」

私の場合には

「『ガルフォース・エターナルストーリー』(のキャティ)が好きだった高校生の僕を,今の僕はどうやって肯定したらいいのですか!」

になりますが。
ガルフォース エターナル・ストーリー [DVD]
いみじくも上記の発言が指摘する現象が本作で起こりえます。本作,細田守監督の『時をかける少女』は,あまりにも良くできたジュブナイルで,恋愛物語で,青春小説。目的を見失ってしまった昨今の宮崎駿スタジオジブリより,もっとシンプルかつストレートに「ジブリ的なテーマ」を体現した作品として細田守は『時をかける少女』を送り出したように思うのです。
 本作と比較参照されるべきものは,近藤喜文監督の『耳をすませば』(1995年)ではないでしょうか。バイオリン職人にあこがれて中学を途中で放り出してイタリアに渡ってしまう天沢聖司。そんな少年のひたむきな姿に触発されて小説を書き始める少女,月島雫。こうしたテクストを,「甘酸っぱい青春のひとコマ」と肯定的にみるか,それとも「若気の至り」「ワナビ」「いちゃつきやがって」「世間の厳しさを思い知れ」と否定的に捉えるのか。『耳すま』と『時かけ』はコンセプトが似通っているので,評価軸も共通するのではないかという感があります。
耳をすませば [DVD]
 本作のテクストの内側には瑕疵が見当たらない。「何のためにアニメ映画を観るのか?」「なぜ実写ではなくアニメ映画という表現手法を選んだのか?」「この映画に《原作:筒井康隆》をクレジットすることの意義」といった外部的コンテクストしか評価を落とすものはないように思う。
 そのうえで。僕は(こじれてしまった34歳なのに)このアニメを気に入ってもいいんだろうか――。
▼ 関連資料

 細田 「時をかける少女」って、今まで映像化されたものは全部実写だったわけじゃないですか。今回アニメーションでやったのは、今だと『時をかける少女』を実写でやっても、つまらないだろうなと思ったんですよ。大林(宣彦)監督版を頂点にして、何作か作られてるけどさ、あの物語を実写で語る事の限界みたいなものを感じてきたんです。
http://www.style.fm/as/13_special/houdan_060724.shtml 「放談 細田守×小黒祐一郎

▼ 補遺

*1:谷川流の小説は評価していなかったのに,アニメを観て楽しんでしまった私……。この〈ねじれ〉は,テクストに対するコンテクストの過剰な関与をアニメ化の際に上手く咀嚼してくれたからではないかと思っている。両者の関係を考えるうえで参考になる対談だと思われるので,当該文書の参考資料として掲げておく。

映画『最終兵器彼女』 The RUSTIC LOUSY Story on This Little Planet.

 ちせはかわいくない。 仕上がりは想像以上にシンコクで…… それ以上にサンタンだったんだ。 札幌シネマフロンティア爆撃 毎週日曜朝07時30分 なにもかもを根こそぎにしてしまった。 ごめんね おかしい……おかしいよぉっ! 破壊されたセカイ系 体が兵器の女の子って普通ですか? 吹き出しそう まぬけ時空 ごめんなさいごめんなさいごめんなさい ぼくはあいかわらず いろいろな事を甘く見すぎていた。 ISBN:4091856829 やっちゃったよ 滅ばぬ地球 いったい何を評価すればいいのか せめて,映画らしく 学芸会 東映は一体どこで引き返すべきだったのか 前田亜季がワイド画面のように幅広で 須賀大観監督を問いつめたい 知らないほうが知っているより幸せなことがある。 アツシはどこへ消えた だめっ。笑わせないで! これを読んだあなた,どうか褒め方を教えてください。それだけが私たちの願いです。 私の頭の中に消しゴムを これって……変ですよね? ごめんね 観たヤツは全部笑い死ぬって。 正視に耐えない うぐぅ,この脚本(清水友佳子)のこと忘れさせてください なんだか,痛々しいよぉ…… スタッフは,ただ不器用で。 惨状を嗤え ぶっちゃけありえない 核汚染物質に近寄ったらダメだよシュウジ ISBN:409185687X 痴女ふゆみ ……うん。ダメ。 過剰な現実感,リアリティの不在 ISBN:4091856810 札幌駅から大通公園へ向かって逃げるシュウジ(そっちが爆心地なのに) 比べてみれば劇場版AIRは良かった ちせ語を話さないちせなんて 黒歴史 アケミ,死亡(なぜ?) ISBN:4091856837 知らずにいたほうが,なんて幸せだった ISBN:4091856861 みんな変になっていく…… 幼稚園のおゆうぎ 誰にも制御不能 誤作動しちゃった 感動率1% もうすぐ打ち切りかなぁ ISBN:4091856845 観なければ良かった…… 昭和50年代のメロドラマ もう,終わりにしてくれ 暴走をシステムのせいにするなよ あのジエータイ,おかしいぃ! ぽんぽこタヌキさん ISBN:4093876282 テツ先輩のエピソードいらない なぜ砂丘で終わる その謎は解かないほうがいい。 ISBN:4091856853 アニメ版DVD-BOX(ASIN:B000CEVX1Y)を買っておいて良かった

The Last Rustic Love Lousy Story on This Little Planet.
この星で,一番野暮なひどいストーリー

 「ごめんなさい」 


追記
 物語論の観点から少しだけ言及しておきます。
 原作との比較では大きな改変があるのですが,これが致命的な変質をもたらしています。[1]原作は〈僕たち〉をめぐる話題に終始していたものが,映画では〈大人〉を代表する自衛隊側の視点(思惑)が強く前面に出てきていること,[2]敵対する存在が固有名詞として語られていること,[3]ちせについての結末が,主題「ぼくたちは,恋していく」に結びつかないものになっていること,などです。
 すなわち,

  • [1]私的な日常(小状況)とハルマゲドン(大状況)を媒介する社会領域(中状況)として「軍隊」が機能している。
  • [2]中状況を通すことにより,大状況が認識可能なものとして提示されている。
  • [3]最終戦争に対して「最大多数の最大幸福」原則が適用され,そもそも破滅的な大状況が回避されることで質的な変化が生じている。

 つまり…… 《セカイ系》というジャーゴン(専門用語)を用いて論じてきた言説が,映画版ではすべて無効化されているわけです。

Mr. & Mrs. Smith

 帰省中の友人と会食した後,連れだって映画『ミスター&ミセス・スミス』*1を観てきた。
 建築家ジョンは,プログラマーのジェーンと恋に落ちた。結婚して6年,倦怠期の二人に危機が訪れる。二人は同時に仕事でしくじってしまったのだ。それというのも,実は暗殺組織のエースである妻と,裏稼業で狙撃手をしている夫が同じ現場で鉢合わせ。そして,壮大な夫婦喧嘩が巻き起こる――
 派手なガン・アクションが好きな人なら満足できるでしょう。
 役者の演技を観察する表現論的な見方をする人も楽しめるでしょう。
 私のように,すべてを物語論に引きつけてしまう思考様式をとる者にとっては……結末で「なんだかなぁ」となってしまった。これはコメディ仕立てであれば良かったのに,と思う。
 あ,二人が南米のボゴタで出会う冒頭の場面,荒々しいスペイン語が飛び交うシーンは,聞き取りの勉強になったよ。

*1:引用画像は原作(ISBN:0060785594

ヴェニスの商人

 マイケル・ラドフォード監督作品『ヴェニスの商人』を観てきた帰り道。
http://www.venice-shonin.net/
この先にはネタバレがあります。
 「音楽が良かった〜」
 「うん。声楽も,器楽曲も」
 「さすがMGM」
 「?」
 「Metro-Goldwyn-Mayer」
 「あ,『トムとジェリー』の。最初に「が,がお……」*1「がお〜」って吠えるやつね」
 「アル・パチーノ*2の演技も良かった」
 「もう最高だよ〜」
 「特にセリフ回しがね」
 「元が戯曲だけに,耳で聞いていて心地よかった」
 「韻を踏んだ言い回しなんかは,日本語にしてしまうと味わいが伝わらないもん」
 「くだけた言い回しを避けていたから,擬古文調になっていたし」
 「かといって,古英語にしてしまったら分からないもんね〜」
 「当時の雰囲気にするなら,いっそのことイタリア語にしてしまったらどうかとも思ったんだけど―― それじゃシェイクスピアじゃなくなっちゃうか」
 「日本語字幕は,さすが小田島雄志先生という仕上がり。なっちじゃなくて良かったよ」
 「訳者が戸田奈津子だったら,観に来ませんってば(笑)」
 「他の変なところといえば,ポーシャ*3の居城かなぁ。ばりばりのCG合成で浮いてた。」
 「しかもイタリアの建築様式じゃないし*4
 「そういえば差別問題なんだけれど。アラゴン王が……」
 「あ,やっぱり気になるよね。私はスペインを莫迦にするなぁ!って内心で吠えてた*5
 「別にユダヤ人だけを嘲笑の対象としていた作品ではなかったんだね」
 「スペイン人も,モロッコ人も」
 「シェイクスピアは当時の時代意識に沿って書いていたのだろうけれど」
 「そういった政治的な文脈を切り離すためにラドフォード監督が苦心したのが分かるよね」
 「その代わり,原作では背景に退いていたシナリオの粗が前景化してしまったけれど。あんな女達のどこに惚れるの? 理解不能だよ(笑)」
 「それにしても,アントーニオ(金を借りて肉を担保に取られそうになった男)は非道いなぁ」
 「というと?」
 「だってさ,恩赦の条件としてシャイロックキリスト教へ改宗することを要求していたけれど,それだけの意味ではないもの」
 「あぁ,そうか。ユダヤ教徒でなくなるということは,高利貸しを営めなくなるということか。財産の全額が没収されそうなところでシャイロックに半分が残るよう取り計らっているから,観客は〈アントーニオ=いいひと〉という印象を持つけれど……」
 「シャイロックは生活の手段を奪われてしまった」
 「裁判ではユダヤ人に〈慈悲〉を求めていたけれど,反対からの〈慈悲〉は寛容さに欠けるなぁ」
――と,いろいろツッコミどころ満載で,会話が盛り上がる。有名な原作の筋立ては維持しつつ,奇をてらわずに映画化しており,楽しめる作品でした。

*1:それは観鈴ちん

*2:シャイロックユダヤ人の高利貸し)役。

*3:資産を使い果たしたバッサーニオが惚れた相手。バッサーニオがアントーニオに金を借りさせたのが今回の事件の発端。見栄を張ってポーシャへ求婚しに行こうとするから,衣装代だの旅費だのが必要になる。しかも,他にも金融業者が居るというのに,よりによってシャイロックから金を借りようと言い出した張本人。冷静に考えると,こいつが一番の悪者。

*4:ルクセンブルクで撮影したのだとか。

*5:イベリア半島北東部に存在した国の名前。後のスペイン王国を形作ることになる。16世紀には,イタリア半島南部を占めるナポリ王国アラゴン支配下にあった。ちなみに,イギリスが「アルマダの海戦」でスペイン無敵艦隊を破ったのは1588年。『ヴェニスの商人』が書かれたのは1596年であり,英国人がつけあがっていた世界史の主役へとのし上がっていった頃である。

御法度

御法度 [DVD]
 映画でも観て過ごそうとしたところ、18時からフィルモテカ(La Filmoteca,バレンシア州立映画機構)で大島渚監督作品『御法度』(1999年)を上映するというので鑑賞。1.5ユーロ。日本語音声、バレンシア語字幕。
 時は幕末、衆道の狂気に取り憑かれた新撰組を描いた作品。なかなか面白かった。配役も良く、画面構成も手堅い。なるほど、海外で上映するのに向いている。もっとも、事前知識を持たずに観ていたであろう地元客の方は、地名やら人物名やらで困惑していた様子が見受けられた。
http://www.ivac-lafilmoteca.es/