労働法判例 :: ウェブサイトへの謝罪広告掲載が命じられた例

 ここ1年ほど,いろいろあって研究から遠ざかっていたのですが,久しぶりに研究会で報告をしてまいりました。今回取り上げたのは通販新聞社事件東京地裁判決・平成22年6月29日・労働判例1012号13頁)です。

事案の概要

 当事者は,被告Y社は通信販売の業界紙を発行する会社であり ,PがY社の代表取締役。そして,原告XはY社の従業員であった者であり,Yが発行する『週刊**新聞』の編集長を務めていました。平成20年6月,XはA社から『通販業界の動向とカラクリがよ〜くわかる本』と題する本件書籍を出版したが,Xは本件書籍を執筆するにあたり,Yが作成して**新聞に掲載した図表13点を使用した(このことについてYが許諾したか否かは争いとなっている)。
 平成20年6月26日,完成した本件書籍をXがPに渡したが,その場においてPはとがめるような態度は示さなかった。ところが翌27日になって,Pは本件書籍の回収命じた。同月30日には,来社したA社の編集担当者に対して本件書籍の出版差し止めや回収を迫ったうえ,同担当者が帰社した後,Xに対し本件懲戒解雇の通告を行った。そして,同年7月3日,PはXに対して翌日で退社するよう命じました。
 Yは,7月17日付け**新聞の1面に「本紙,前編集長X氏を懲戒解雇/独断で他社と出版契約」という見出しのもと,社告を掲載した。また,7月14日ころから6か月間以上にわたり,**新聞のウェブ版に「【謹告】前編集長X氏を懲戒解雇」という見出しのもとで記事を掲載した。本件社告等にいう本件懲戒解雇の要旨は,〈1〉本件書籍の題名の「カラクリ」という表現が,「通販業界には消費者を操る仕掛けがある」というダーティなイメージを与えること,〈2〉Xの行為は,Y(およびYのグループ会社)に帰属する著作権を侵害したものであること,の2点である。
 このような経緯の下でXがYに対して,雇用契約上の地位確認,毎月の賃金支払い,慰謝料の支払い,謝罪広告の掲載を求めたのが本件訴訟です。本件の主たる争点は,【1】懲戒事由該当事実の存否(すなわち,Xが本件書籍を刊行した際にYの許諾を得ていたか),【2】懲戒権の濫用の有無(すなわち,Xの行為はYの社会的信用や企業秩序を害するものであると言えるか),【3】不法行為の成否,【4】名誉回復措置として謝罪広告を命じることは妥当か――でありました。

判旨

  1. Xは,Pから図表等の使用の許諾を得ていたと認めるのが相当である。
  2. Xが本件図表等を本件書籍に使用したことは,Yの社会的信用や企業秩序を害するものではないというべきであるから,本件の懲戒事由に該当しない。
  3. 本件の懲戒事由は存在しないのに,Yはこれを断行したから,Yには不法行為が成立する。Yの名誉毀損の違法性の程度はかなり重大なものであり,慰謝料として200万円を支払え。
  4. Xの名誉を回復するため,〈1〉紙媒体の『**新聞』1面には,縦3段抜き,横約20センチメートル,活字の大きさは問題となった社告と同等の大きさで,〈2〉ウェブ版の『**新聞』には,トップページの先頭記事欄に,問題となった「謹告」と同等の大きさで,1か月間謝罪広告を掲載せよ。

寸評

 判旨は妥当であると思われます。
 名誉毀損をめぐる問題では,不法行為の成立を認めて慰謝料の支払いを命じるものは多数ありますが,謝罪広告の掲載までも認容する例はそれほど多くはありません。民法723条には「他人の名誉を毀損した者に対しては、裁判所は、被害者の請求により、損害賠償に代えて、又は損害賠償とともに、名誉を回復するのに適当な処分を命ずることができる。」との規定がありますが,ここにいう〈適当な処分〉として謝罪広告が必要であるかどうかは裁判所の裁量に委ねられています。
 それでも,民事の事案において謝罪広告の請求が認められたものは散見されるところです(例として,最一小判・平成1年12月21日・民集43巻12号2252頁)。ところが労働事件については認容例が乏しく,私の調べたところでは,次の2件がみられただけでした。

 本件の特徴は,数少ない謝罪広告認容例であることに加え,ホームページへの掲出命令であることでしょう。もっとも,名誉毀損の成立要件であるとか救済方法の選択についての法理は,紙媒体と電子媒体とで変わるところはないと思われます。ウェブサイトの場合には構造を操作することによって情報を目立たなくするということも容易に出来てしまうところですが,本判決における救済方法は会社が行った名誉毀損と同じ態様で謝罪広告を掲載するように命じておりますから,これで差し支えはないと考えられます。

過労死認定裁判の構造

 はてなブックマーク経由で今日のニュースを流し読みしていたところ,過労死関連の記事がありました。

 大阪府内の男性会社員(当時37)の遺族が起こした過労死認定訴訟で、被告の国が生前の男性の業務用パソコンの閲覧履歴を調べ、「出張先でアダルトサイトを見ていた」とする書面とサイトの画像を証拠として大阪地裁に提出した。〔中略〕
 訴状などによると、男性は大手金属メーカー社員だった2004年5月、自宅で急性心筋梗塞(こうそく)で亡くなった。遺族側は、直前6カ月間の時間外労働は月平均89時間余りで、国の過労死認定基準(2カ月以上にわたって月平均80時間以上)を超えていたと指摘。月の半分以上は出張で関西と関東・九州を往復し、過重勤務で過労死したとして、労災と認めなかった労働基準監督署の処分の取り消しを求めて昨年5月に提訴した。
 遺族側の訴えに対し、国側は「出張に伴う移動時間を差し引いた場合、男性の時間外労働は過労死認定基準を下回っていた」と反論。このため、訴訟の最大の争点は、出張の際の移動時間を労働時間ととらえるかどうかに絞られた。
 ところが、国側は、男性が出張先に持参していた会社のパソコンの閲覧履歴を会社側から提出してもらい、亡くなる数日前に九州の宿泊先で閲覧したとするアダルトサイトのわいせつ画像など計約60枚を印刷。昨年11月、「男性は宿泊先でパソコンを仕事以外に使っていた」とする主張を裏付けるための証拠として地裁に提出した。
2010年6月14日付け朝日新聞『「出張先でアダルトサイト」過労死訴訟の証拠に遺族抗議」

 私は判例分析が専門であり,裁判所が結論を出した後に判決文が原文で読めるようになってからでないときちんとした論評はできませんので,内容についての発言は差し控えます。が,ブックマークに書き込まれているコメントのうちにトンチンカンな発言が散見される状況なのは見過ごせません。

 たしかに,これは労働法と行政法が交錯するところなので,状況を把握するには少々法律知識が必要になります。そこで,過労死訴訟がどういった紛争類型になっているのか(どうして今回は国が被告になっているのか?)を簡単に紹介いたします。

行政認定

 ここでは過労死した方をAさんとしておきます。Aさんは死亡しておりますので訴訟を起こすことはできませんから,Aさんの配偶者や子が過労死認定手続を申請することになります。以下,申請者をXと呼ぶことにします(なお,過労のせいで脳・心臓疾患を発症はしたものの幸いに命を取り留めており,原告労働者が生存している場合もあります。この場合には,Aさん=Xとなります)。
 Aさんの発症が労働災害であったか否かを判定するのは,労災保険法を担当する労働基準監督署です。労働基準法施行規則別表第1の2第9号では「その他業務に起因することの明らかな疾病」についても労災として扱うことになっているのですが,昭和62年に労働省が出した通達により,「脳・心臓疾患」も労災として認定されるようになりました。ただ,くも膜下出血心筋梗塞は会社で働いていない人でも発症する病気ですから,過労(より正確には業務に起因する過重負荷)がかかっていた場合に限って労災として扱われることになります。この境界の引き方については厚生労働省が『認定基準』を示しており,概ね次のようになります。

  1. 発症前1か月間におおむね100時間を超える時間外労働が認められる場合,発症前2か月間ないし6か月間にわたって,1か月当たりおおむね80時間を超える時間外労働が認められる場合は,業務と発症との関連性は強いと判断される。
  2. 発症前1か月間ないし6か月間にわたって,
    • a 1か月当たりおおむね45時間を超える時間外労働が認められない場合は,業務と発症との関連性が弱く,
    • b 1か月当たりおおむね45時間を超えて時間外労働時間が長くなるほど,業務と発症との関連性が徐々に強まると判断される。

すなわち「2か月以上にわたって残業が80時間を超えていること」が,労基署の窓口での判断基準です。より詳しくは,平成13年2月12日付け基発第1063号「脳血管疾患及び虚血性心疾患等(負傷に起因するものを除く。)の認定基準について」を参照してください。
 夜遅くまでずっと事業所に居たり,休日出勤をしているなど,外形的にみて在社時間が長い場合において認定は難しくありません。問題になりやすいのは,持ち帰り残業をしていたため,使用者による時間管理が及ばないけれども実際には仕事をしていた時間帯が多く含まれている事案です。
 それから,看護士のように夜勤が入ったり,出張のため飛び回ったりして勤務が不規則になるために,タイムカードに記録されている残業は多くないけれどキツい仕事というのも裁判にまで発展するケースが多いようです。今回報道されたのは,このパターンのようですね。
 制度上,不規則労働である場合には過重要素として勘案し,総合的に判断することにより労災として認定できることになっていますが,労基署の窓口としては前述の《80時間》を下回ると「労災では無い」と判断する例が多いようです。行政の裁量を大きくしてしまうと担当者によって判断が大きく変わってしまうという困ったことも起こりますので,労働時間の長さが主たる判断要素になるのは(ある程度)致し方ないところではあります。ですが,現在の運用は労働保険審査会による行政不服審査が上手く機能しておらず,柔軟さに欠けるとの批判は避けがたいところでしょう。

取消訴訟

 さて,労基署の判断に不満がある場合,認定を請求したXは裁判で争うことになります。ここでようやく本題。過労死認定をめぐる訴訟は,行政の判断が誤っていたか否かを争うことになりますので行政事件訴訟(の中の取消訴訟)という類型になります。実際に判断をしていたのは労働基準監督署(=行政庁)なのですが,平成16年の法改正により行政事件訴訟の被告は(=行政主体,以下Y)に改められました。なお,行政事件訴訟には民事訴訟のルールが準用されます。刑事裁判ではありませんから,国(Y)が被告になっていても検察庁が登場してくるわけではありません。国の代表として法務大臣が関与するということになります。
 この際,会社(使用者)は第三者(以下,Z)という立場に置かれます。ただ,労務管理を実際に取り仕切っていたのは会社ですし,勤怠に関する情報も会社が持っています。そこで会社(Z)が情報提供するわけですが,この場合,Xの側に立つ場合もあれば,Yの側に立つ場合もあります。なお,労災の認定が出たとしても会社側が直接に金銭を負担するわけではありませんから,遺族への支援が行われるよう積極的にXの支援をすることも多いようです。

民事訴訟

 ここまで述べてきたのは,労災保険を受給したいという場合です。これに対し,遺族が会社を相手取って民事訴訟を起こし,損害賠償請求を求めるという争い方もあります。この場合,被告(Y)は会社になります。
 こちらの戦術を採るメリットは,過労死の原因を作出した直接の当事者である会社を敵として争うことができることです。先述の取消訴訟だと国が被告になってしまうので,遺族からしてみれば本当に恨みをぶつけたい相手が法廷には居ないという状態になってしまいますので。
変貌する労働時間法理―“働くこと”を考える
 あと,民事訴訟であれば過失相殺を使って割合的な責任分担をすることも可能です。労災保険の支給は《出す》か《出さない》かのデジタルな判断しかできない制度になっています。これに対して民事訴訟では,被災労働者の側にも落ち度はあったから3〜4割くらい減らされるのは仕方ないけれど,でも責任の6〜7割は会社の側にあるはず! という主張もできます。
 より詳しくは,『変貌する労働時間法理 《働くこと》考える』の第8章に書いてありますので,買ってくださいね。


● 追補
 続報が流れておりました。

 被告の国側は15日、画像を撤回する方針を明らかにした。国側は「男性が出張の宿泊先で業務用パソコンを使ってサイトを見ていた」と主張していた。国側の訴訟窓口となっている大阪法務局の担当者は朝日新聞の取材に「遺族の心情と(撤回を求めた)裁判所の意向を考慮した」と文書で回答した。
http://www.asahi.com/national/update/0615/OSK201006150242.html

日本スペイン法研究会ほか編 『現代スペイン法入門』

 このたび,嵯峨野書院から『現代スペイン法入門』ISBN:9784782305072)を上梓いたします。日本スペイン法研究会の発足記念事業として企画されたものです。本書の構成は,以下のようになっております。

  1. 道標――本書に含まれる情報の関連づけのために
  2. 憲法
    • Rodríguez Artacho, Salvador/池田実
  3. 民法(物権法を除く)
    • De Salas Murillo, Sofía/奥山恭子
  4. 物権法
    • De Salas Murillo, Sofía/古閑次郎
  5. 刑法
    • Alastuey Dobóon,/稲垣清
  6. 行政法
    • Embid Irujo, Antonio/北原仁
  7. 商法(総説)
    • García-Cruces González, José Antonio/Moralejo Menéndez,Ignacio/黒田清
  8. 会社法
    • García-Cruces González, José Antonio/Moralejo Menéndez,Ignacio/黒田清
  9. 破産法
    • García-Cruces González, José Antonio/Moralejo Menéndez,Ignacio/松本アルベルト俊二
  10. 訴訟法
    • Herrero Perezagua, Juan Francisco/松本アルベルト俊二
  11. 労働法
    • Garcia Blasco, Juan/岡部史信/大石玄
  12. 競争法
    • García-Cruces González, José Antonio/Moralejo Menéndez,Ignacio/諏佐マリ
  13. 財政および租税法
    • Jiménez Compaired, Ismael/諏佐マリ
  14. 不動産登記法
    • De Salas Murillo, Isabel/古閑次郎
  15. 教会法
    • Combalía Solis, Zolia/ルイス・ペドリサ/池田実
  16. スペインと国際法
    • Salinas Alcega, Sergio/横山真紀
  17. EU法とスペイン法
    • Tirado Robles, Carmen/ルイス・ペドリサ/岡部史信

 ※ スペイン人の氏名は[ 父方の姓 母方の姓,名前 ]で標記している。

 本書は,フランシスコ・バルベラン弁護士(Nichiza)のご仲介をいただいてサラゴサ大学(Universidad de Zaragoza)法学部の教授陣に原文を執筆していただき,それを日本側スタッフが翻訳のうえ,日本の読者のために必要な注解を加えて作られました。私も集団的労働法の箇所について若干の協力をしております。
 スペイン法を全体像を紹介する本邦初の文献であり,有意義なものと存じます。ぜひお買い求めくださいませ。

水町勇一郎・連合総研編 『労働法改革』

 昨日は札幌にいらしていた西谷敏先生を囲んでの研究会に出席し,懇親会にも参加したので帰りが遅くなったのですが,日本経済新聞出版社から『労働法改革――参加による公正・効率社会の実現』ISBN:4532133815)の著者見本が届いておりました。来週あたりから店頭に並ぶ予定だそうです。
 この本は,2007年4月から2009年2月まで,財団法人連合総合生活開発研究所の委託を受けて開催された「イニシアチヴ2009研究委員会」の最終報告書をまとめたもの。ウェブ上でディスカッション・ペーパー(DP)が公開されておりますので,そちらで試し読みをどうぞ。

 次のような章立てになっています。


第 I 部 労働法改革のグランド・デザイン

  • 第1章 労働法改革の基本理念――歴史的・理論的視点から [水町勇一郎
  • 第2章 新たな労働法のグランド・デザイン――5つの分野の改革の提言 [水町勇一郎

第 II 部 労働法改革の視点

  • 第3章 労使関係法制――ドイツおよびフランスの動向 [桑村裕美子]
  • 第4章 労働者代表制度――スペインからの示唆 [大石玄
  • 第5章 雇用差別禁止法制――ヨーロッパの動向 [櫻庭涼子]
  • 第6章 雇用差別禁止法制――スウェーデンからの示唆 [両角道代]
  • 第7章 労働契約法制――課題と改革の方向性 [山川隆一
  • 第8章 労働時間法制――混迷の原因とあるべき法規制 [濱口桂一郎
  • 第9章 労働市場法制――歴史的考察と法政策の方向 [濱口桂一郎

第 III 部 経済学・実務からの考察

  • 第10章 労使コミュニケーションの再構築に向けて [神林龍]
  • 第11章 労働関係ネットワーク構築のための素描――特に「仲介者」の役割について [飯田高
  • 第12章 労働組合の視点から――職場における「公正」の確保に向けて [杉山豊治・村上陽子]
  • 第13章 人事労務管理の視点から [荻野勝彦

むすび――本書の到達点 [水町勇一郎
http://www.nikkeibook.com/book_detail/13381/ をもとに補遺

 まず第1部で水町先生がフレームワークを提示し,それを受けた第2部で労働法メンバー6人が検討を加え,さらに第3部前半で労働経済学(神林先生)&法社会学(飯田先生)からの検討,そして第3部後半で労使実務家(情報労連の杉山さん,連合〔本体〕の村上さん,そしてid:roumuyaこと荻野さん)が批判を展開する,という構成です。
 なお,「グランドデザインを描いて議論を喚起したい」というのが主査・水町勇一郎先生のご意向でしたので,研究会メンバーによる意見の擦り合わせは行っておりません。そのため,研究メンバーが本の中で水町提言とは異なる見解を示しているところも多々あります。そういったところも含み置いていただいたうえで,お読みいただければ幸いです。
 水町提言では,〈1〉労使関係法制,〈2〉労働契約法制,〈3〉労働時間法制,〈4〉雇用差別禁止法制,〈5〉労働市場法制という5つの領域を柱としております。私が執筆した第4章では,このうちの労使関係法制に絡み,従業員代表制の導入について比較法を主とした文章を書いております。
 ……ちょっと場外戦をしておきましょうか。
 日本における労働条件の決定システムは「労働協約」「労働契約」「就業規則」の3つが組み合わさって構築されています。しかしながら,労働組合活動の低迷によって「労働協約」の適用下にある労働者は少数になっているのが現状です。「労働契約」はというと,日本では雇入れの際に交わされる契約の条項がスカスカであることが多く,労働条件を決める機能が弱いのが実状です。昨今では有期雇用労働者については労働契約を交わすことも多くなっていることと思いますが,それにしても「契約書どおりに雇用は3年で終了して,その先の更新はありませんよ」というための便法に使われてしまうのがオチ。
 結局,労働条件の多くは,使用者が一方的に定めることのできる「就業規則」に委ねられてしまうということになります。「対等の立場において,決定すべき」〔労働基準法2条1項〕労働条件が使用者の思うがままになるのは,法の理念からしても不適切です。実際,オイルショックの時期に就業規則を用いた労働条件の引き下げが相次いだことから,裁判所を通じて「就業規則の不利益変更法理」が打ち立てられました。現在では,労働契約法(2008年3月施行)の第9条ならびに第10条となっています(判例法理と法の条文が同じかどうかは議論あり)。法律の名称は「労働契約」法となっているものの,その実質からすれば「就業規則」法と呼ぶのが相応しい位置づけの立法であります。
 こうした認識に立ちますと,集団的な労働条件決定システムが空白となっている現状に対して,どう対応するかが労使関係法制の課題だと言えます。これに対しては意見の分かれるところでありますが,今回の水町提言では「従業員代表制度の創設」を唱えております。比較法的にみると,すでに労働組合が存在しているところに従業員代表制を並立的にくっつけているのがスペインの制度だ,というわけで書いたのが今回の文章です。
 が,水町先生から日本法についての示唆を書いて欲しいとのオーダーがありましたので,最後に少しばかり私見を書き加えました。それが,「従業員代表制に賛成なのか反対なのか,お前はどっちなんだ!?」というニュアンスになっている最後の一文。
 《法律学》の立場からすれば,従業員全員を強制加入させる形の労働者代表制を設けるのが最もスッキリします。しかし《労使関係論》からすると,たとえ制度というハードウェアを用意したところで,ソフトウェアを動かして運用できる人材がいなければ機能はしません。新たな労働者代表制度を設計するにしても,果たして職場ルールづくりに責任を持って関わってくれる労働者側の人材が揃うのかが不安なところ。下手をすれば,労使関係法制までもが使用者の一方的な権限行使の手段として使われるという事態も危惧されるところなのです。
 考えあぐねたあげく,迷いもそのまま残した文章と相なりました。脱稿した後に濱口先生の『新しい労働社会』が上梓されたので今回の文章には反映できなかったのですが,その第4章で展開されている「労働者代表組織は労働組合であってはならないが,労働組合でなければならない」という提言も,私の考えているところと方向性は同じなのだろうと思っております。

 自分自身が関与しているということを割り引いて評価しても面白い本になっていると思いますので,手に取ってみていただければ幸いです。

労働法判例 :: 労働組合法上の《労働者》

 研究会にて,国・中労委〔INAXメンテナンス〕事件(東京高裁判決・平成21年9月16日判決・労働判例989号12頁)を検討しました。
 争っているのは,とある住宅設備機器I社から修理補修業務の委託外注を受けているエンジニア。修理を求める顧客のところへ出かけるときにはI社の制服を着用していく等しています。エンジニアらの加盟する一般労組がI社に対して団体交渉を申し入れたところ,I社が申入れを拒絶したという事案。大阪府労働委員会はI社の行為が労働組合法7条2号の不当労働行為に該当するとして救済命令を発しました。中央労働委員会の再審査でも初審の判断は維持されています。これが取消訴訟にかかりましたが,第一審(東京地裁判決・平成21年4月22日・労働判例982号17頁)も労働委員会の判断を支持。
 ところが,控訴審(裁判長:藤村啓)では原判決を取消しました。その理由というのは,エンジニアらは労働組合法上の労働者ではないから――というものでした。

 「同法における労働者に該当するか否かは,法的な使用従属関係を基礎付ける諸要素,すなわち労務提供者に業務の依頼に対する諾否の自由があるか,労務提供者が時間的・場所的拘束を受けているか,労務提供者が業務遂行について具体的指揮監督を受けているか,報酬が業務の対価として支払われているかなどの有無・程度を総合考慮して判断するのが相当というべきである。

 え〜
 ものすごく変な判示なのです。どういうことかというと,労働組合法3条では「この法律で《労働者》とは,職業の種類を問わず,賃金,給料その他これに準ずる収入によつて生活する者をいう。」と定義しています。この労組法上の《労働者》には,就職活動をしている最中の失業者であっても含まれると理解されています(労働基準法9条にいう《労働者》よりも広い概念です)。裁判官は,条文だけを見て考えてしまうという過ちをしでかしてしまったのかなぁ……。参加者の発言には,従来は判断の入口である《労働者性》を認めた後の実体判断である《使用者性》において判断していた要素を前の方に持ってきてしまったのだろうか,という指摘もありました。

労働法判例 :: 資格試験の勉強をするお仕事

 研究会に参加して,国・さいたま労基署長〔鉄建建設〕事件(大阪地裁判決・平成21年4月20日労働判例984号35頁)を素材に議論してきました。
 原告Xは,土木建築業を営む被告Y社の技術系従業員。「技術士」の合格者増加を目標として立てたY社は,平成10年,Xに対し同試験を受験する対象者としての指名を行った。Xは同年度ならびに翌年度は不合格であったが,受験3回目となる平成12年8月の筆記試験に合格した。Xは12月9日に行われた口頭試験を受験したところ,試験終了直後に脳内出血を発症して倒れた。本件紛争当時,Xは左半身マヒの障害を負っている。本件は,Xは原処分庁(さいたま労基署長)に対し労働者災害補償保険法に基づく補償給付を求めたが不支給処分がなされたため,その取消を求めるものである。
 Xにかかっていた業務上の負荷についてみると,発症前1か月の時間外労働時間数は「28.5時間」,発症前6か月平均でみても「47時間10分」に留まっていたために行政認定では業務上外と判断したようである。しかし裁判所は,

「本件会社においては,原告に対する受験指示も含めて技術誌試験の受験が業務命令で行われていたものと推認され,同認定を覆すに足りる証拠はない。」

と説示します。そこで,Xが受験勉強に費やしていた時間として計算した発症前1か月において「83時間」を加えると,Xの労働は量的な負荷がかかるものであったと認定。技術士の受験についても合格率が低く難易度の高いものであることから質的な負荷もあるとしました。結論として,Xの発症は業務上のものであったと判断したものです。
 高度な業務に携わる労働者についていえば,自己啓発のために学習をする時間は使用者からの厳密な指揮監督を受けている時間とは言い難いのであるから,問題の処理としてはホワイトカラー・エグゼンプションの導入を考えるべきではないか――というのは,荻野勝彦(id:roumuya)さんが「人事労務管理に関する政策と実務の落差」という論文の中で展開しているところであり,その是非をめぐっては政策論議として検討するべきところでしょう。
 ただ,本件に限ってみれば,Xの受験勉強はY社の業務であったと評価して差し支えないだろうという事情が存在します。会社が受験費用を負担していたり,論文添削や模擬試験も会社内で行われていましたが,ここまでは良くある話。本件では,Xに受験を命じた大阪支店の支店長が受験者の家族向けに「依頼文書」を発しているのですが,その中では 

  • 試験日まで毎日夜9時就寝,朝2時起床
  • 出勤時刻まで受験勉強
  • 試験日までの土,日,祝,夏季休暇,全て勉強させて下さい

という指示が出されておりました。いったいどこの小中学校ですか?と言いたくなるような文書ですけれども,時間の使い方に関して事細かに使用者がコントロールしようとしていたことが窺われる事情です。実際に依頼文書のとおりに実行していたとは思えませんが,それでも睡眠時間を5時間に抑えるような指示を出すのは安全配慮義務違反でしょう。これが民事の事案だとすれば,受験勉強に費やした時間について「労働の対価」たる賃金を請求できるかという大問題が起こってしまいます。今回は労災認定にかかる行政訴訟ですので,自宅での受験勉強時間数が裁判所の認定したとおりだとすれば(←実は訴訟遂行の上ではここが揉めそうなところ),業務上という判断が妥当な気がします。

スペイン法研究会

 午後は研究会に参加。「スペインの不動産登記法」「憲法制定と占領政策」「チリの新・労働争訟解決制度」の3本立て。財産法は不得手なもので一本目の報告は聞いているのが精一杯でしたが,他2本は実に興味深いものでした。ハイチとフィリピンと日本とは,アメリカの占領政策における憲法制定という手段で繋がっているのではないか,という指摘はまったく考えたことがありませんでした。チリの話は,まさしく私の専門分野でしたし。

労働法判例 :: 労働者派遣が有する類型的な危険性

 労働者派遣等においては,派遣元が労働者を雇用して,派遣先に派遣してその指揮命令下に置いて業務に従事させるが,派遣労働者は派遣先との間に直接雇用契約を有しないという仕組みである上,同法の定める許可等の規制を受けることもないため,派遣労働者は不安定な立場におかれやすく,他方,派遣先が労働者を自ら雇用する場合と比べて,就労環境に意を用いないことなどのため中間さく取と劣悪な労働条件の下に過酷な労働が強制されるなど労働者に不当な圧迫が加えられるおそれが類型的に高いものと考えられる。
下線は引用者による

 上記の文章はアテスト(ニコン熊谷製作所)事件(東京高裁判決・平成21年7月28日・判例集未登載)控訴審判決なのですが,裁判所にしては随分と踏み込んだことを述べています。
 派遣労働に従事していた労働者Aが,派遣先会社の用意した寮において自殺したという事案。母親である原告Xがウェブサイトにおいて訴訟経過を公表しているので,判決文を読むことが出来ます。

 過労によりうつ病を発症して自殺したのであれば,過重労働についての認定が結論に大きく影響します。ところが本件では会社側がタイムカード等の資料を提出していないので,原告労働者の残業時間(量的過重性)について事実認定できません。そこでですが,極めて限定された条件(交替制労働+クリーンルーム労働+単身寮生活)においてですけれども,立証責任の転換を行っています。

 交替制勤務によりクリーンルーム作業に従事する労働者が使用者側が用意した寮に単身で居住している場合,当該労働者の生活の大部分はそのような形で労働者を使用する者によっていわば抱え込まれているのであって,その健康状態を含めた生活の状況等の全般を外部者が把握することはその外部者が当該労働者の近親者である場合を含めて容易ではないのが通常であり,他方,その生活の大部分を抱え込んだ使用者がこれを把握することは比較的容易であることは既に説示したとおりであり,中でも,交替制勤務の下 閉所内のクリーンルーム作業において当該労働者がどのような労働環境の下でいついかなる業務をどのように遂行したか等を個別具体的に外部者自らが明らかにすることはほとんど不可能に等しい一方,その業務を管理監督する使用者がこれをするのに特段の困難はないというべきである。

 第一審(東京地裁判決・平成17年3月31日・労働判例894号21頁)は使用者らに安全配慮義務違反があったことを認めたものの,原告側にも過失があったものとして3割の過失相殺を認めています。それが控訴審では改められ,原告側の全面勝訴となりました。

Aを一審被告アテストが一審被告ニコンに派遣して,一審被告ニコンがその指揮命令の下で熊谷製作所における業務に従事させたことは,労働者派遣法によって禁止された労働者供給事業等に当たり,この場合,中間さく取が行われるとともに,劣悪な労働条件の下に過酷な労働が強制されるなど労働者に不当な圧迫が加えられるおそれが類型的に高い場合(中略)に当たる上,実際にも,Aは,法令の規制から外れた無規律な労働条件の下,本来命じられることはないはずの時間外労働や休日労働に従事しており,また,Aの派遣就労が法令による規制をおよそ度外視した内容である疑いが否定できない一審被告らの間の契約に基づいたものであることは既に説示したとおりである。加えて,実労働時間を確定することはできないものの,Aが本件週報に記載された時間を超えて業務に従事したことは明らかである上,休憩時間に業務に従事したり相当期間にわたり終業後や休日を業務に割いたりした疑いがぬぐえないこと,勇士がその意向にかかわらず,一審被告ニコンの業務遂行上の都合から重点的に,シフト変更を命じられ,また,本来業務ではない業務での出張までを命じられて,相当な心理的負荷を継続的に受けていた疑いがあること,一般検査の担当であったAがその意向にかかわらず一審被告ニコンの業務遂行上の都合から,一般検査の仕事との兼務で経験のない者には本来こなせないとされるソフト検査を担当させられ,そうしてAが本来業務(一般検査)とそれ以外の業務(ソフト検査)とに兼務で従事したことによって,心理的負荷を蓄積させた疑いが極めて強いことも既に説示したとおりである。これらによれば,Aにその業務による過重な心理的負荷等によってうつ病が発症したことについて合理的な根拠に基づく相当な疑いがあることは明らかである。