『りぼん』のふろくと乙女ちっくの時代

 先日,とある評論を読んで大いに刺激を受けた。更科修一郎id:cuteplus)が著した《萌え》を巡っての論考である。そこでは美少女ゲームという表現が,1970年代末期に成立した乙女ちっく少女まんがに依っていることを指摘している。
 かねてから私は,乙女ちっく少女まんがとギャルゲーのドラマツルギーとが連結した構造を持つことを説明できないかと考えていただけに,これを明確に説く更科に我が意を得た思いである。

 1970年代の末期、主に少女まんがの表現として完成された、乙女ちっくな少女趣味=少女幻想は、当時の少女たちが、性的な自己主張を抑圧されていたが故に発展した特殊な表現だったのだけども、1980年代に入り、「少女」というイメージがメディアに曝され、世の男性たちにポルノグラフィな記号として消費されていった結果、少女たちはそのイメージを逆手に取り、欲望を直接的に表現する強さを身につけていく。
 そして、90年代に突入すると、不可視のポルノグラフィとしての少女幻想は、自己表現の媒介として必要とされなくなっていった。結局、少女幻想という概念を、当の少女たちは80年代に置いてきてしまったのだ。
 しかし、少女まんがというフィールドに居場所を失ったはずの少女幻想は、男性向けのポルノメディア、特に、おたく男子の愛玩物として、美少女まんがや美少女ゲームという場所で、生き延びることになってしまった。
「システム化された幻想に対する違和感と、誰かを思い出せない理由。」より引用

 30代後半の友人にA I Rを説明した時、「『綿の国星』と『ポーの一族』を足して、乙女ちっく系を加えて煮詰めた感じの作品」と言ったら、妙に納得されてしまって、逆に困ったことがある。
「2001=1978」より引用 *1

 評論家としての更科修一郎は,もっと注目されてしかるべきだと思う。そんなこともあって,思想的背景を確認すべく関連しそうな文献を取り寄せてみた。最初に届いたのが,今回取り上げる大塚英志たそがれ時に見つけたもの――『りぼん』のふろくとその時代』*2
 大塚の切り口は,彼の十八番である「少女民俗学+消費社会論」。それを,これまた大塚が得意とする,大きな仮説を小さな事象の積み重ねで明らかにしていく手法で解き明かしていく。仮説とは,1974年から83年まで時期に『りぼん』のふろくにおいて起こった動きが,1980年代に花開く消費社会の前史(=始まりの風景)である,というもの。書名の「たそがれ時」とは,〈モノ〉に価値があった高度経済成長期が終わりを迎え,〈少女〉が〈記号〉を〈消費〉する社会へとパラダイムシフトしていく情勢を指している。さすがにわかりにくいと大塚は考えたのか,文庫化に当たっては主題と副題を入れ替えて「『りぼん』のふろくと乙女ちっくの時代――たそがれ時にみつけたもの」に改題されている*3
 具体的に言及される作家は,陸奥A子田淵由美子太刀掛秀子篠崎まことらである。密接な関係にあるものとして,『アンアン』創刊(1970年),サーティワンのアイスクリーム(1974年),それにサンリオ*4といった社会状況を挙げるあたりが大塚ならでは。これらはいずれも《かわいい》あるいは《ファンシー》というキーワードで接続される。
http://www.tinami.com/x/girlscomic/tachikake-hideko/page1.html (TINAMIX「青少年のための少女マンガ入門」)
 この〈乙女ちっく〉路線は1982年に創刊された『オリーブ』に継承され,消費社会のイニシアティブは移っていく。そして『りぼん』は幼年向け少女誌に戻った,というのが大塚英志の史観である。
 マンガ評論*5では,1970〜80年代の少女まんがについて顧みられることは驚くほど少ない。それを大塚は,24年組が「革命」的に「文学性」を志向していたのに対し,「保守反動」として「わかりやすいエンターテイメント」たる〈乙女ちっく〉少女まんががあったことに由来するものではないか(それ故に評論家から軽んじられたのではないか)と考察している。少女まんが論を説くうえで,重要な文献といえよう。

*1:念のため補足しておくと,後者(1978)は「乙女ちっく少女まんが」が隆盛を極めた時期の表象であり,前者(2001)はこの論考が世に出された年である。

*2:1991年,太田出版ISBN:4872330218

*3:1995年,ちくま文庫ISBN:4480030174

*4:1973年に社名改称,1974年にハローキティを開発している。

*5:大塚英志に依拠する場合には「まんが」「おたく」と表記するのが作法(というか義務)。ここではあえて「マンガ」としている。