Giovanni IV

 「普通」っていう言葉が嫌いです。

 「ふつう、××するでしょ?」というのは、大抵が発言者の価値観を一般化して押しつけているだけ。「僕、ふつうじゃないから」というのも、標準的人間像というものを設定し、自身がその枠組みから逸脱していることを嘆いているだけで、実際には「普通の人」なんて存在しない。普通列車は、いったい各駅停車のどこが普通なのか説明しろと問いつめたくなる。

 使うとすれば―― 例えば、私は普通よりも目が悪い。両目とも0.04で、近視+乱視+斜視なものだから、小学校に入学する前から眼鏡をかけていました。裸眼では、30cm以上離れたものは、色しかわからない。そんなわけで、プールで女の子の水着姿を見たことが無いんですよね……。

 それから頭が悪い。もう少し説明しておくと、人の名前を覚える能力が普通より低いというか、ほとんど無いに等しい。1年間、同じクラスだった人の名前を最後まで覚えられなかった。映像としてはちゃんととらえていて、顔を見ると知人だというのは分かるし、どういう関わりの人物なのかも知っているのに、名前がわからない。出てこないのではなく、そもそも脳に入力されていない。これ、教育分野で働くには致命的で、いつも教科書の端に座席表を隠し持っていました。

 その代わりなのでしょうけれど、耳は普通よりいいと思う。ただ、これは弱点でもあって、聞きたくないものまで聞こえてしまうのです。話し声のするところでは眠れないので、合宿などで先に休もうとしても宴会が引けるまで寝付けない、とか。

 さて、前置きが長くなりました。この家にいる3人、生活時間帯がまったく異なります。看護婦さんのセレーナは朝が早いので、21時にはもう寝ています。私の就寝が24時頃。ジョバンニは、かなり遅くまで起きています。ただ面白いことに他の2人に共通することがあって、テレビを観るときには照明をつけないのです。食事の時だけ、しぶしぶ明るくするといった感じ。以前、ホームステイをしていた時にも同じようなことがあったので、凡ヨーロッパな現象なのかもしれません。

 ところがジョバンニの場合、廊下の明かりすらつけないようなのです。どうしてかというと、居間から出るときに出口がわからなくてもたつく足音がしたうえに、廊下がL字形になっているところで曲がり損ねて壁に激突する音がしたんですよ。ちなみに、その衝突したと思われるのは私の部屋の扉(笑) 以上、音をもとにした今日のジョバンニ。

 寝ようと思って横になっていたのに部屋の扉に何かぶつかって驚いた、というのは耳の良し悪しに関係ないかもしれませんが――