菜の花の沖 (2)

 司馬遼太郎菜の花の沖』第2巻(ISBN:4167105535)、読了。この巻は、高田屋嘉兵衛が古船を手に入れ、船乗りから商人へと転化していく過程を描いている。
【書評】
 ここまで読んできて気づいた、司馬の人物描写の特徴。善悪というか、白と黒が明瞭に区分けされている。分かりやすいのは、兵庫の問屋・北風荘右衛門についてのくだり(206-207頁)。この人物、低迷していた兵庫の港を再興させた立役者であり、嘉兵衛に船を買い与えた恩人。それまでは好人物として描かれていたのが、ここでは立ちはだかる壁の如く表現されている。その理由は、船を持った嘉兵衛が「一艘の船を持っただけで自立めいた面構えになっている」からだという。う〜ん、人間関係が深まると良い面だけではなく悪い面も見えてくるのは当然なのだけれど、ここで北風荘右衛門に内心を語らせてまで強調するのはどうしたわけであろうか。読者が悪印象を持つよう誘導しているように見える。北風の「投資活動」の方が上手(うわて)であったことは、それをそれとして評価されても良いだろうに。
 そうした見方で「作中の嘉兵衛」を眺めると、これがもう完全無欠の人徳者なのです。主人公を利する者と害する者、そのコントラストがあまりにも強い。振り返ると、1990年代は「強くない」「がんばらない」「癒(いや)されたい」ヒーローが闊歩した時代でありました。なるほど、「司馬遼太郎高田屋嘉兵衛」は1980年代の体現者であったのか。
 さて、あとは興味深かった記述を抜き出しておこう。

 松右衛門*1が発明したのは、荒巻(新巻)鮭であった。松前蝦夷地から運ばれている鮭は塩鮭で、塩のかたまりを食っているようにからいものであったが、松右衛門は松前で食った鮭の味が忘れられず、この風味をそのまま上方にとどけようと思った。(50頁)

 この時代の日本社会の上下をつらぬいている精神は、意地悪というものであった。上の者が新入りの下の者を陰湿にいじめるという抜きがたい文化は、たとえば人種的に似た民族である中国にはあまりなさそうで、「意地悪・いじめる・いびる」といった漢字・漢語も存在しないようである。(237頁)

 「物というのは、ふしぎでございますなあ」(中略)「蝦夷地の鰊(ニシン)が、河内など暖国の土の中にもぐって木綿に化けるのです*2。その木綿を船の者が雲州*3へ運んでいって、百姓の家の者が布に紡ぐ。それをまた船が隠岐へ運ぶ」(中略)「この鮑(アワビ)は、最後には唐人が食う。唐人が長崎で支払う金が、まわりまわってあなたたちの懐ろに入る。その金で蝦夷地の鰊が化けた木綿を買う。それを着て、あなたは鮑を干している」(275-276頁)

 こうしてみると、本題ではないことばかり注目しているなぁ。

*1:廻船問屋・御影屋の主。船乗りであったが、帆の改良で財を為した。従前はムシロが用いられていたところ、太い木綿の撚り糸を使うことで保ちの良い帆布を織ることを発明した。25-27頁。

*2:江戸時代に入ると、衣類には麻に代わって木綿が用いられるようになった。綿畑は近畿/瀬戸内に分布。その栽培には干鰯(ホシカ)やシメ粕など、金肥(きんぴ。金銭を支払って購入する肥料のこと。)が必要であった。

*3:出雲。現在の島根県