子どもが減って何が悪いか!

 赤川学子どもが減って何が悪いか!』(ちくま新書ISBN:4480062114)読了。
 邪推、あまのじゃく、オナニー言説。本書の性格は、この3つの言葉で言い表せる。
 本書に書かれていることは簡潔明瞭。前半部と後半部、それぞれ1行で足りる。ここで私が要約する必要すらない。ずばり、第4章と第8章の小題になっているからだ。

序章 世に溢れるトンデモ少子化言説
第1章 男女共同参画少子化を妨げるか
第2章 子どもを増減させる社会的要因は何か
第3章 夫の家事負担は子どもを増やせるか
第4章 男女共同参画少子化対策ではない

 間違えてはならないのは、「男女共同参画社会」に反対しているわけでも、「少子化対策など必要ない」と述べているわけでもない。両者を結びつけて議論することの誤りを指摘している。
 ここでは、政策策定の道具として社会調査のデータを用いる場合の危うさを指摘する。例えば、統計からは「コウノトリが多数繁殖している地域では、子どもが多く生まれる」という相関関係を示すことすら可能なのだ。著者は、少子化と「都市化の進行度合い」とに真の相関を見出している。そのため、野鳥の生息数が多いこと(=田舎であること)と子供の数とに、見かけ上の相関が生じてしまう。データに対して疑いの目を持つこと*1、そして統計的根拠の正しさを見抜く眼力を身につけること(これを著者はリサーチ・リテラシーと呼んでいる)は、社会科学に携わる者として身につけておくべき素養だろう。著者は、「実証分析の結果を愚直に政策提言に結びつけようとすれば、ときには自らに都合の悪い事実と向き合わざるを得なくなる」と説く〔50頁〕。戒めとして真摯に受け止めておきたい。
 それにしても、「男女共同参画」が本書で指摘されるような捉えられ方をしているとは驚きでした。私は労働法の立場から平等権の問題として考えていたので、見落としていた視点だったのです。


 後半部では、まず、少子化のどこが社会問題であるかを確認する。筆者は、これを(1)若年人口・労働力の減少に伴う経済成長の鈍化と、(2)社会保障費用の増大(現行の年金制度の破綻)という2つのデメリットに集約する〔第5章〕。問題状況を振り出しに戻すことが本書の最大の意義であるので、ここで読み終えてもいい。なお、筆者からの返答は

第8章 子どもが減って何が悪いか

である。つまり、少子化対策として家族支援政策を展開することはやめ、出生率は低いままであるものとして制度を見直そう、と議論の仕切り直しを要求する。みんなが公平に負担を分担しあい、平等に貧しくなるならば、それで良い――と赤川は割り切る。
 こうした著者の態度を下支えしているのが、オナニー言説。これは本書の最後で明かされるのだが、著者の専門はセクシュアリティ論。「選択の自由」という理念を

してもいいし、しなくてもよい。してもしなくても、何のサンクション(懲罰や報奨)も受けない制度設計

として把握し〔204頁〕、そこから子育て支援や両立支援といった施策に疑問を突きつけている〔第7章〕。この態度の出発点が「オナニーは無害で、やりたいときにやればいい」から来ているところにはズッコケた。さらに、ジョン・ステュアート・ミル*2 の《他者危害原則》*3 が、ベンサムによる同性愛擁護に端を発していることも聞かされ、呆然。ついでに触れておくと、本書の題名の元ネタは、『機動戦士ガンダム』第9話におけるブライトのセリフだそうだ(^^;)
 これまでの言説をバサバサと斬っていく姿には、凄味がある。赤川が言っていることは、「オレを信用するな! この本を疑え!!」にも等しいからだ。山田昌弘の「パラサイト・シングル論」についても鋭い切り返しをしている〔第6章〕。といっても全否定ではなく、社会学として評価できる部分と、不適切な政策提言とをきっちり分けている。山田の説を引用するにあたっては、本書も参照しておく必要があるだろう。
 議論が混迷したときに飛び出してくる天の邪鬼からの「身もフタもない」発言は、問題の原点に立ち返らせてくれる。


▼ おとなり書評

▼ 追補::参考資料
http://www.shiojigyo.com/en/column/0504/main.cfm (子どもが減るのは、「危ない」のか)

*1:ちなみに私ですが、「先進国の国際比較」というデータが示された時、検討対象にスペインが含められていなければ、資料作成者は何か恣意的な取捨選択をしているのだろうと疑ってかかります。

*2:Wikipedia - J.S.ミル

*3:「危害の原理」に同じ。他人に迷惑をかけないなら何をやってもいいだろう、というもの。