小説 エマ〔1〕

 久美沙織(くみ・さおり)による『エマ』第1巻(ファミ通文庫ISBN:4757722095)読了。森薫による漫画『エマ』の小説化。原作の第1巻(ISBN:4757709722)におけるエピソードを追う。
 まず、この作品を知らない人のために。ヴィクトリア朝のロンドンを舞台とした、ラブ・ロマンスです。上流階級(ジェントリ)の青年・ウィリアムは、かつての家庭教師(ガヴァネス)ストウナー婦人のもとで働くメイド・エマに恋をする。しかし時は19世紀末。英国では、階級の差は抗いようもない壁であった――
エマ (1) (Beam comix) エマ (2) (Beam comix) エマ (3) (Beam comix) エマ (4) (Beam comix) エマ (5) (ビームコミックス)
 メディアミックスをしてなんぼ、という昨今。人気マンガをアニメ化するなら、同時にノベライズもしちゃおうというのは自然なこと。ただ、他媒体で先行する作品を小説化すると、大抵は上手くいかない。次元が下がるから(次元が低い、ではないですよ)。マンガなら「絵+コマ+言葉」で構成されているものを、小説では「言葉」だけにする。削ぎ落とされてしまう要素が出てきてしまうため、どうしても魅力を欠いてしまいがち。それだけに、作家の力量が試される。
 さて、この小説版『エマ』です。
 まず、原作とは、まったく別のアプローチをしていることは認識しておかなくてはなりません。森薫は「絵」に語らせています。例えば第1話の最後3頁では、セリフがひと言もありません。これをそのまま小説化したのでは、情景描写ばかりになってしまいます。そこで久美は原作の視点に囚われず、独白(モノローグ)によって物語を進めるという手法を採りました。冗長なまでに言葉を重ねているのも特徴でしょう。原作では、5頁目に「どうしたの? エマ」というストウナー女史の台詞があります。それが小説版では、34頁目。冒頭部の緩慢な展開が、もっとも如実に本書の特徴を示しています。
 この手法が効果的に活かされているのが、第2話「眼鏡」でありましょう。原作は、ともすれば若い二人が惹かれあう一過程に過ぎません。しかしこれをエマによる内面からの語りに変更することで、小説では豊かな感情を表現することに成功しています。視覚にまつわるエピソードですから、絵を用いるマンガの方が有利であったはずです。しかし久美は、鳥瞰する森薫の視点では取りこぼしてしまった《心》を丹念に追います。私は、第2話に関しては、原作よりも小説版の方が優れていると評価します。
 ですが、本作を通してみたとき、それほど高く評価することは出来ません。理由は2点。
 まず第1に、漫画を知らずに小説を読んだ時、面白みが伝わらない。原作は、言ってみれば「ヴィクトリア時代メイドさんを描くための口実としてマンガを描いた」ようなものです。村上リコによる副読本『エマ ヴィクトリアンガイド』(ISBN:4757716435)もまた、原作に肉薄し凌駕せんとする熱意がみなぎっています。社会風俗史の入門書として、単独で楽しめるほどに仕上がっている。原作ファン必携の書です。
エマヴィクトリアンガイド (Beam comix)
 先人2人に迫るだけの気迫は、残念ながら久美沙織にはない。それはそれで良い。しかし、原作に忠実であろうと腐心するあまり、ダイナミズムに欠ける展開になっていることは否めない。特に第5話、父・リチャードが「イングランドは二つの国民からなっている」と告げる場面の迫力不足は致命的。
 第2に、文章表現力。これは私の感性と合わない部分があったということで、批判としては不適切かも。『エマ』は、多分に懐古趣味的(レトロ)な作品です。それを意識してなのか、久美は随所に「堅苦しい」言葉を散りばめています。眉墨、清拭(せいしき)、疼(うず)く、梳(くしけず)る、睥睨(へいげい)、莫連(ばくれん)女―― ですが、どうして漢字を当てないのか不可解な場所も多数。ひらがなが続くうえに読点(、)も打たれていないので、読みにくい。三点リーダー(……)や感嘆符(!)の多用も見苦しい。会話文での言葉遣いは、くだけすぎとの印象を受ける。
 久美沙織の力量は見せてもらった。素晴らしいところもあった。でも―― というのが感想。ノベライズは難しいです。
 最後に恨み言。アニメ『英國戀物語エマ』、どうして北海道地区では放映しないのでしょう(泣)


▼ おとなり書評

▼ おとなり書評 :: 追記

久美沙織はひとつの想いや情景をあらわずためにいくらでも言葉を費やせるという小説の長所に的を絞って勝負している。
http://d.hatena.ne.jp/kaien/20050409/p2

本書の長所を的確に述べている。良い書評の例。対する私は、ひねくれてるなぁ。読み返してみると、「原作至上主義者」などと糾弾されても反論できない内容だ。