そうだったのか 手塚治虫

 中野晴行(なかの・はるゆき)『そうだったのか 手塚治虫――天才が見抜いていた日本人の本質』(祥伝社新書/2005年5月/ISBN:439611009X)読了。
 あの好著『マンガ産業論』の著者によるマンガ論……と言いたいところだが、本書はちょっと変わったアプローチをしている。
 手塚治虫がマンガ家として生きたのは、敗戦の直後からバブル崩壊を目前に控えた1989年まで。この約45年間を手塚作品と重ね合わせ、時系列順に追っていく。日本という国と日本人が歩んできた足跡を辿る。そんなわけで、本書の特徴を一言で表現するなら日本論(手塚治虫研究)とでもなるだろう。
 手塚マンガを《テクスト》として読み込むことを避け、作者の思考・思索・思惑を大胆に追いかけていく。作品論として論じる場合には距離を保つことの多い、作者の生活状況や社会の風潮といったものにまで話題を広げる。
 その際、著者は2つの仮説を提示する。「手塚マンガの主人公たちは《アイデンティティの喪失》と《自分探し》という共通の属性を備えているのではないか?」というのだ。その一貫した視点で、『鉄腕アトム』や『地底国の怪人』から絶筆『グリンゴ』までを論じてみせている。ぞくぞくするほど面白い。
 エピローグでは、手塚治虫不在の16年間を著者が顧みている。歴史になっていない事象を語ることには危うさを感じるのだが、冒険的であることが本書の魅力であるから良しとしよう。
 手塚治虫を、マンガの神様としてではなく、一人の日本人として見つめる著者の視線には温もりがある。何よりも、手塚治虫という人の生き様を教えてくれたことに感謝したい。