本田透 『萌える男』

 本田透(ほんだ・とおる)『萌える男』(ISBN:4480062718)を読む。
 あきれるほど酷い。これが「トンデモ本」なり「アジ小説」であれば笑って済ませられるところなのだが…… 新書という体裁をとり,外見を装って(偽って)いるからには,放っておくわけにもいかない。
 まず,第1章「萌える男は正しい」は読むに堪えない。
 第5章「萌えの目指す地平」と第6章「萌えない社会の結末」は,「世界をセカイに革命する力を!」*1と叫んでいるだけで,内容的には前章までに述べたことを反復しているのみ。まったくの無駄。
 よって本書で読む必要がある箇所は,フレームワーク(枠組み)を提示している第2章「萌えの心理的機能」と,具体的な作品を挙げながらフレームの適用を論じる第3章「萌の心理的機能」&第4章「萌えの社会的機能」に留まる。

framework

 本田の説くところをまとめると,次のようになる。
▼ 第1章

▼ 第2章

 神という絶対的な価値基準の規範が消滅したため,個人が自らのレゾンデートルを信仰によって得られなくなり,その結果自我が不安定になったということである。恋愛の持つ価値が飛躍的に高まり,恋愛至上主義や恋愛結婚制度がヨーロッパ,さらには西洋文化を取り入れた日本において普及した(94-95頁)

 萌えは宗教(神)が死に,神に代わる「恋愛」も死んだ現代の日本において,必然的に生まれてきた新たな信仰活動といえるのだ。(87頁)

 恋愛結婚を基盤に据えた現代の家族制度が有効に機能しなくなっており,さまざまな問題が発生しているという現状(中略)を打破するための一つの思考実験として「萌え」が登場してきた。(164頁)

 そして最後に養老孟司唯脳論』と岸田秀『唯幻論』,それに吉本隆明共同幻想論』を引き,次のように言う。自我を安定させる装置である〈萌え〉という自己幻想を,共同幻想にしようではないか――と。
 本書は,〈萌え〉という信仰を伝道するための宗教書だったのです。
 そんなわけで,本田透を相手にして議論する気が起こらないのですが…… 一つだけ疑問を呈しておくと,本田の説明ではキリスト教国ではない日本において〈萌え〉が発生したことが不明*4。このような粗雑な本を出版してしまう筑摩書房の力量を疑う。

critique

 第2章の結びからはじまる評論部分は,それなりに楽しく読める。こっちは毒電波を飛ばしてナンボですから。


▼ おとなりレビュー

http://d.hatena.ne.jp/southtree/20051109
 今までの作品の調子は半ば冗談交じりだったから過激な主張も「これはネタだろw」と笑って流すことができたが、「萌える男」ではネタと本気の区別が難しいと言うか、ネタみたいなことを本気で言っているように聞こえると言うか…。

http://d.hatena.ne.jp/ayidabis/20051108#1131451658
 本書は最初から最後まで「萌える男」の「萌えない男」に対するルサンチマンに貫かれており、常に恋愛を強く意識している。このことから筆者もまた世の中を「恋愛」という側面からしか見ていないし、「もてなければならない」という強い強迫観念にさいなまれている。つまり筆者が「愚民」と考える世の人々よりもある意味「恋愛資本主義」にどっぷり浸かっているのだ。

http://d.hatena.ne.jp/ayidabis/20051109

http://d.hatena.ne.jp/ayidabis/20051112/1131812569
あまりに荒唐無稽な内容なので、著者がネタとして書いた可能性も考えた。しかし「パロディではない」という誠実さは、新書において最低限保証されるべきことではないか。

http://d.hatena.ne.jp/shinichiroinaba/20051111#p2

*1:原文には,このような表現はありません。私の意訳ですからお間違えなきよう。本田は易姓革命の話をしています。

*2:その傍証として『負け犬の遠吠え』『だめんず・うぉーかー』『私をスキーに連れて行って』などを引く。

*3:日本における恋愛論については,小谷野敦もてない男』(ISBN:4480057862)を,押野武志『童貞としての宮沢賢治』(ISBN:4480061096)を参照したのではないかと思われる。本田が書いているのは劣化コピー。この点について興味を持たれたのであれば,本書よりも両著作に直接当たられた方が良い。

*4:あたかも,マルクス社会主義思想が最初に実地適用されたのは後進国ロシアであったかのような歪さ。

*5:明言していないけれど,明らかに東浩紀動物化するポストモダン』に対する批判。

*6:テレビ版最終回における崩壊と,劇場版『THE END OF EVANGELION』での「気持ち悪い」を指している。