本田透 『萌える男』
本田透(ほんだ・とおる)『萌える男』(ISBN:4480062718)を読む。
あきれるほど酷い。これが「トンデモ本」なり「アジ小説」であれば笑って済ませられるところなのだが…… 新書という体裁をとり,外見を装って(偽って)いるからには,放っておくわけにもいかない。
まず,第1章「萌える男は正しい」は読むに堪えない。
第5章「萌えの目指す地平」と第6章「萌えない社会の結末」は,「世界をセカイに革命する力を!」*1と叫んでいるだけで,内容的には前章までに述べたことを反復しているのみ。まったくの無駄。
よって本書で読む必要がある箇所は,フレームワーク(枠組み)を提示している第2章「萌えの心理的機能」と,具体的な作品を挙げながらフレームの適用を論じる第3章「萌の心理的機能」&第4章「萌えの社会的機能」に留まる。
framework
本田の説くところをまとめると,次のようになる。
▼ 第1章
- 萌えとは,心の奥底に眠る〈乙女回路〉を回転させることである。
- 1980年代バブル期に,恋愛は商品化された :: 恋愛資本主義の発生
- オタクとは,恋愛偏差値が低いが故に足切りされ,〈恋愛資本主義〉のシステムに組み込まれていない底辺層である :: 恋愛ニート=〈萌える男〉の発生
- 恋愛市場からロックアウトされた〈萌える男〉は,二次元の空想の世界(バーチャルワールド)において〈脳内恋愛〉を行うことで欲望を達成する。
- 萌え市場の参加者は,恋愛資本主義のルール(男性は女性を喜ばせるために消費活動を行う)と真っ向から対立するため,忌み嫌われる*2
- 現実の世界を舞台とした「恋愛ゲーム」である恋愛資本主義は,バブル経済と結びついており,やがては行き詰まりを見せる。
- 『電車男』は,恋愛資本主義に属する女性が従前〈萌える男〉を排除していたのを改め,〈萌える男〉を洗脳して恋愛資本主義市場へと参入させる物語である(cf.純愛ブーム)
▼ 第2章
- 自我の存在基盤(アイデンティティ)を支える装置が〈神〉である。
- ニーチェは『ツァラトゥストラはこう言った』で「神は死んだ」と宣言した。
- 神の代わりに自我を支える絶対者として〈恋愛結婚〉というシステムが考案され,夫婦が互いに自我を保証し合うことになった*3。
神という絶対的な価値基準の規範が消滅したため,個人が自らのレゾンデートルを信仰によって得られなくなり,その結果自我が不安定になったということである。恋愛の持つ価値が飛躍的に高まり,恋愛至上主義や恋愛結婚制度がヨーロッパ,さらには西洋文化を取り入れた日本において普及した(94-95頁)
萌えは宗教(神)が死に,神に代わる「恋愛」も死んだ現代の日本において,必然的に生まれてきた新たな信仰活動といえるのだ。(87頁)
恋愛結婚を基盤に据えた現代の家族制度が有効に機能しなくなっており,さまざまな問題が発生しているという現状(中略)を打破するための一つの思考実験として「萌え」が登場してきた。(164頁)
そして最後に養老孟司『唯脳論』と岸田秀『唯幻論』,それに吉本隆明『共同幻想論』を引き,次のように言う。自我を安定させる装置である〈萌え〉という自己幻想を,共同幻想にしようではないか――と。
本書は,〈萌え〉という信仰を伝道するための宗教書だったのです。
そんなわけで,本田透を相手にして議論する気が起こらないのですが…… 一つだけ疑問を呈しておくと,本田の説明ではキリスト教国ではない日本において〈萌え〉が発生したことが不明*4。このような粗雑な本を出版してしまう筑摩書房の力量を疑う。
critique
第2章の結びからはじまる評論部分は,それなりに楽しく読める。こっちは毒電波を飛ばしてナンボですから。
- ダンテは,夭逝した初恋の女性ベアトリーチェと『神曲』の中で結ばれた。ゲーテは『ファウスト』において悲恋の後に死んだグレートヒェンを「永遠の女性」とした。彼らは萌えの先駆者である。(83頁)
- 押井守『イノセンス』のテーマは,「人間の男と,仮想世界の女との恋愛の可能性」である。(84頁)
- 萌え属性論からは,萌えの本質は何も見えてこない。(86頁)*5
- 「エヴァによってオタク的完成に目覚め,エヴァに熱狂した人々は,そのエヴァ自身にオタクという自分のレゾンデートルを破壊された。」*6(91頁)
- エヴァによって与えられたトラウマを克服して治癒しようという動きが,萌え系ゲームの登場である。(91頁)
- Tactics『ONE〜輝く季節へ〜 』は,「恋愛によるレゾンデートルの再生」という,萌えの心理的機能を体現した作品である。〈永遠の世界〉に引きこもろうとする主人公(折原浩平)は,萌えキャラによってレゾンデートルを与えられ,恋愛によって救われる。(93頁)
- ニーチェが提唱した新しい人類のあり方〈超人〉の切り替わり :: 忍者(白土三平『カムイ伝』)→ 超能力(平井和正=石ノ森章太郎『幻魔大戦』)→ メカ(『宇宙戦艦ヤマト』『超時空要塞マクロス』『機動戦士ガンダム』)→ 萌えキャラ(『新世紀エヴァンゲリオン』)
- 『ONE』は現実世界では到達不能な純度にまで恋愛を突き詰めてしまった結果,『ONE』のプレイヤーは作品世界に自分の居場所=レゾンデートルを発見し没入してしまった(103-104頁)。
- VisualArt’s/Key『Kanon』は,トラウマ(過去の喪失体験)を自覚して自我に取り込み自己治癒するストーリー構造を持つ。これはキリスト教における懺悔と同じである。月宮あゆは人間を救済する〈少女救世主〉である(105-106頁)。
- 生身の女性にも救われず,新宗教(オウム等)にも癒されないのであれば,残る途は「脳内恋愛」=「萌え」である(107頁)。
- 恋愛こそが世界のすべてという価値体系は,〈セカイ系〉というジャンルを築く(125頁)。
- 鬱屈したルサンチマンは,人間を鬼畜化する。『エヴァ』は「萌えが挫折した時に残されたルサンチマンの暴走としての鬼畜ルート」という不安を焼き付けた。不安を突きつけられたオタクたちの恐怖と葛藤を掬い上げたのがLeaf/AQUAPLUS『痕−きずあと−』である。ここでは,萌えがルサンチマンに勝利する。(121-127頁)
- 萌えは,破綻した〈恋愛‐結婚‐家族〉という男女関係の連続性を再生するための新たな関係性の物語をシミュレートするラジカルな思考実験の場となっている。そこでは,恋愛関係ではない男女関係を構築する試みがなされている。徐々に思考実験を積み重ねることで,アイデアの現実化可能性が検証されて進化していく。(140頁,145頁)
- 例) メイドさん :: 中山文十郎+ぢたま某『まほろまてぃっく』。相互補完関係,進化した懐古主義。
- 例) 妹 :: 『シスタープリンセス』,D.O.『加奈〜いもうと〜』,吉田基已『恋風』。このジャンルは悲劇のシミュレートまで完了している。
- 例) 家族の再発見 :: VisualArt’s/Key『CLANNAD』
- 例) ロボット :: Leaf/AQUAPLUS『To Heart』のマルチ(HMX-12)
- 例) 疑似姉妹 :: 今野緒雪『マリア様がみてる』のスール制度。萌える男は進化して〈男性性〉から解脱し,〈少女性〉を獲得。自己を含めて男性が存在しないセカイを構築した(152頁)。
- 例) 萌える男自身の萌えキャラ化 :: キャラメルBOX『処女はお姉さまに恋してる』
▼ おとなりレビュー
http://d.hatena.ne.jp/southtree/20051109
今までの作品の調子は半ば冗談交じりだったから過激な主張も「これはネタだろw」と笑って流すことができたが、「萌える男」ではネタと本気の区別が難しいと言うか、ネタみたいなことを本気で言っているように聞こえると言うか…。
http://d.hatena.ne.jp/ayidabis/20051108#1131451658
本書は最初から最後まで「萌える男」の「萌えない男」に対するルサンチマンに貫かれており、常に恋愛を強く意識している。このことから筆者もまた世の中を「恋愛」という側面からしか見ていないし、「もてなければならない」という強い強迫観念にさいなまれている。つまり筆者が「愚民」と考える世の人々よりもある意味「恋愛資本主義」にどっぷり浸かっているのだ。
http://d.hatena.ne.jp/ayidabis/20051109
http://d.hatena.ne.jp/ayidabis/20051112/1131812569
あまりに荒唐無稽な内容なので、著者がネタとして書いた可能性も考えた。しかし「パロディではない」という誠実さは、新書において最低限保証されるべきことではないか。
*1:原文には,このような表現はありません。私の意訳ですからお間違えなきよう。本田は易姓革命の話をしています。
*2:その傍証として『負け犬の遠吠え』『だめんず・うぉーかー』『私をスキーに連れて行って』などを引く。
*3:日本における恋愛論については,小谷野敦『もてない男』(ISBN:4480057862)を,押野武志『童貞としての宮沢賢治』(ISBN:4480061096)を参照したのではないかと思われる。本田が書いているのは劣化コピー。この点について興味を持たれたのであれば,本書よりも両著作に直接当たられた方が良い。
*4:あたかも,マルクスの社会主義思想が最初に実地適用されたのは後進国ロシアであったかのような歪さ。
*5:明言していないけれど,明らかに東浩紀『動物化するポストモダン』に対する批判。
*6:テレビ版最終回における崩壊と,劇場版『THE END OF EVANGELION』での「気持ち悪い」を指している。