刑法には「人を殺してはいけない」とは書かれていない

 かねてより気になっていたことを,つらつらと。取り留めもない話になるけれど。
 法律に不慣れな人は,下手に法律を持ち出して議論しない方がいい。べつに「シロウトは法律問題に口を出すな!」というわけではないです。法律は《技巧》の上に成り立っているので,議論の中で使いこなすのは難しいということ。共感を得たいなら,主観的な感情を率直に出してしまった方がいい場面がある*1
 例えば『人を殺してはいけない』とか『妊娠中絶をしてはいけない』といった話をする場合だが,それが「刑法に書いてある」などと言うと厳密には間違いになってしまいかねない。ウソだと思ったら条文の文言を確かめてみて欲しい。

第199条(殺人) 
 人を殺した者は,死刑又は無期若しくは五年以上の懲役に処する。
第212条(堕胎)
 妊娠中の女子が薬物を用い,又はその他の方法により,堕胎したときは,一年以下の懲役に処する。
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/M40/M40HO045.html

 このように,「Aをした場合にはBという不利益を課す」という条件節になっている。換言すると,「Bという不利益と引き替えにするならばAをしても良い」というように読むことも可能。どうして法律がこのような言い回しをしているのかというと,個々人の行動を国家が直接に制御することは難しいから*2。そこで,間接的ながら不利益を用意しておくことで,ある行動に出ることを思いとどまらせようとしているのです。
 法律は,社会を構成する大多数の人が〈好ましい〉と思っているであろう価値判断を反映させているだけの代物。価値判断は法律の背後にあるのです(背景事情を探るときに「立法者意思」というものが見え隠れする)。例えば,銃を所持することが〈正しい〉のかどうかは分かりません。日本では認められていないけれど,米国には憲法修正第2条*3があって武器を保有することが人権とされていたりする。
 つまり,「そもそも論」のレヴェルで価値観が対立している場面において法律を持ち出してみても,あまり意味が無いのです。法律が拠り所になっている社会というのは健全な共同体だとは思いますけれどね。
 それでも憲法や刑法の場合,そこで示された価値判断に異議を唱える人は少数だから,「法律にはこう書いてある」で反対派を説得しやすい。ところが労働法は,労働者と使用者の微妙なバランスの上に成り立っている。法律の内容すら,早いテンポで変わってしまう……。
 目下,労働政策審議会厚生労働省)で検討されている日本型ホワイトカラー・エグゼンプション*4が実際に導入されたならば,日本での働き方は劇的に変化するでしょうね。その趣旨は労働時間にかかる規制の適用を除外する*5というものですから,おそらく1987年の週40時間労働(週休2日制)導入から続いてきた「労働時間短縮」という流れを反転させる大変動になります。この新しい政策選択が本当に社会の多数の人々から支持されるものなのか,わたし,気になります。
職場はどうなる 労働契約法制の課題

*1:昨年,身体障害者が前の職場への復帰を求めた事件について判例評釈を書き,法律雑誌に載せてもらいました(id:genesis:20051215:p1)。私という個人の主観では,障害者も能力に応じて働ける社会を理想と考えています。もし立法に携わることができるならば,そうした社会の構築を提案するでしょう。しかし,現在の法制度の枠組みの中には救済の手がかりがない事案であったため,法律家としては,復職を認めなかった使用者の立場を支持しました。

*2:行政が監督することを予定している場合には「〜してはならない」という書き方をする条文もあります。例えば労働基準法の第3条など。

*3:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E5%90%88%E8%A1%86%E5%9B%BD%E6%86%B2%E6%B3%95%E4%BF%AE%E6%AD%A3%E6%9D%A1%E9%A0%85#.E4.BF.AE.E6.AD.A3.E7.AC.AC.E4.BA.8C.E6.9D.A1.EF.BC.88Amendment_II.EF.BC.89

*4:http://www.mhlw.go.jp/shingi/2006/06/s0613-5a.html

*5:賃金は〈労働時間〉の長短で計るものではなくなるために時間外労働という概念自体が消滅し,〈成果〉によって決められる年俸制が中心の制度に変わる。働く量をどれだけにするかを決めるのは労働者側のリスクとなり,過労で倒れたり自殺するのを防ぐために必要な最小限の休息だけがコントロールされることになる。