細田守『時をかける少女』と近藤喜文『耳をすませば』の相同

 細田守監督の映画『時をかける少女』を観てきました。
 良かった。
 特筆すべきは声の演技。例えば随所に組み込まれているキャッチボールをするシーン。「気怠い日常」を表現する場面だが,ここで過剰な演出をされたり,逆に素人芝居をされたら台無しになるところ。そこを無理のない,のびのびとした,表情豊かな声で魅せてくれた。主役の紺野真琴を演じる仲里依紗の声は,聞いているだけでも楽しい。もっとも,不自然なところもありましたけれどね。後ろの方に真琴が駆けていくのをカメラが追いかける場面があるのですが,なんか「息を切らして走っている」のではなく「えっちなことをして喘(あえ)いでいる」ような気が……(それも一興でしたが)。
http://www.kadokawa.co.jp/tokikake/index.php?cnts=info#20060404 (予告編)
 映像は,とても滑らか(いかにも東映アニメーション仕込み)。輪郭線を太くし,のっぺりとした色塗りにして陰影を抑え,あえて「セル絵らしさ」を強調していたように感じましたが,貞本義行がキャラクターデザインした絵を動かすための最適化でしょう。
 全体的にホワイトを混ぜたような色指定でしたが,子供でも大人でもなく,梅雨の6月でも夏休みの8月でもない,「17歳の7月」というあいまいな季節を映し出せていたように思います。
 脚本も上手い。タイム・リープ(時間跳躍)という道具立てを物語の中に組み込むのに失敗すると,「どうしてあたしが,こんな能力を?」という逡巡に陥ってしまいかねないところ。そこへ本作では「魔女おばさん」こと芳山和子というキャストを再配置することで,あっさり解決。

 和子「タイムリープって,そんなに珍しいものじゃないから」

 音楽は他の構成要素と比べれば控えめ。ある瞬間を除いて低く低く曲が流れ続けていたものの,主旋律が湧き上がってこない。それだけに,タイム・リープのシーンで強く緩やかに奏でられる『ゴルトベルク変奏曲』(Goldberg Variations, BWV988)が一際引き立っていました。最もSF的な場面を彩るのは,クラシックなピアノの調べ。しかも『ゴルトベルク変奏曲』は,最初に主題(Aria)が提示され,それが30回に渡って変奏がなされた後,やがては最初の主題に戻ってくる(Aria da Capo)という構造を持つ楽曲。反復を繰り返した後の回帰という『時をかける少女』のテーマを『ゴルトベルク変奏曲』の旋律で暗示しようとしているのだ――というのは深読みのしすぎでしょうか。


 とにかく,作品としてみると,とても良い出来です。ケチをつけるのが難しいくらい。原作を読んでいなくとも,原田知世主演の映画を観ていなくとも,もちろんコミック版を知らなくともストーリーを楽しめる。
 そこで敢えて議論提起するとすれば,テクストの問題としてではなく,コンテクストとして『時かけ』をどう位置づけるかでしょう。
 かつて,前島賢id:cherry-3d)は斯く叫びました。

 「スレイヤーズが好きだった十代の僕を,今の僕はどうやって肯定したらいいんですか!」

私の場合には

「『ガルフォース・エターナルストーリー』(のキャティ)が好きだった高校生の僕を,今の僕はどうやって肯定したらいいのですか!」

になりますが。
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いみじくも上記の発言が指摘する現象が本作で起こりえます。本作,細田守監督の『時をかける少女』は,あまりにも良くできたジュブナイルで,恋愛物語で,青春小説。目的を見失ってしまった昨今の宮崎駿スタジオジブリより,もっとシンプルかつストレートに「ジブリ的なテーマ」を体現した作品として細田守は『時をかける少女』を送り出したように思うのです。
 本作と比較参照されるべきものは,近藤喜文監督の『耳をすませば』(1995年)ではないでしょうか。バイオリン職人にあこがれて中学を途中で放り出してイタリアに渡ってしまう天沢聖司。そんな少年のひたむきな姿に触発されて小説を書き始める少女,月島雫。こうしたテクストを,「甘酸っぱい青春のひとコマ」と肯定的にみるか,それとも「若気の至り」「ワナビ」「いちゃつきやがって」「世間の厳しさを思い知れ」と否定的に捉えるのか。『耳すま』と『時かけ』はコンセプトが似通っているので,評価軸も共通するのではないかという感があります。
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 本作のテクストの内側には瑕疵が見当たらない。「何のためにアニメ映画を観るのか?」「なぜ実写ではなくアニメ映画という表現手法を選んだのか?」「この映画に《原作:筒井康隆》をクレジットすることの意義」といった外部的コンテクストしか評価を落とすものはないように思う。
 そのうえで。僕は(こじれてしまった34歳なのに)このアニメを気に入ってもいいんだろうか――。
▼ 関連資料

 細田 「時をかける少女」って、今まで映像化されたものは全部実写だったわけじゃないですか。今回アニメーションでやったのは、今だと『時をかける少女』を実写でやっても、つまらないだろうなと思ったんですよ。大林(宣彦)監督版を頂点にして、何作か作られてるけどさ、あの物語を実写で語る事の限界みたいなものを感じてきたんです。
http://www.style.fm/as/13_special/houdan_060724.shtml 「放談 細田守×小黒祐一郎

▼ 補遺

*1:谷川流の小説は評価していなかったのに,アニメを観て楽しんでしまった私……。この〈ねじれ〉は,テクストに対するコンテクストの過剰な関与をアニメ化の際に上手く咀嚼してくれたからではないかと思っている。両者の関係を考えるうえで参考になる対談だと思われるので,当該文書の参考資料として掲げておく。