ひぐらしのなく頃に礼 賽殺し編

 MKへ行き,予約してあった『ひぐらしのなく頃に礼』を受け取ってくる。
 夜も更けたところで「賽殺し編」を読み始め,3時間ほどで読了。
 “あの出来事”の後に見る,“あの出来事”が起こりようもない雛見沢村――。ファンディスクという位置づけでありながら,取り上げているテーマの重厚さは本編に匹敵する。第7話から第8話にかけての主題の1つが〈友情〉であったのに対し,こちらは〈情愛〉を取り上げている。まったくもって青臭い話題だし,陳腐で手垢が付いているような主題だったのだけれども,一連の物語の中ではストンと落ちる内容。本編において省みる余裕のなかったカケラが綺麗に収まってくれたようで,清々しい気分になる。
 フィクションの度が強いとはいえ,読む者に活力を与えてくれる出来。本編を見届けたプレイヤーがこれを「後日談」ないし「番外編」として触れずに済ませるようなことがあれば勿体ないような代物であり,「第9話」として楽しみたいところ。
 まぁ,率直に言えば,終幕に至るための道筋で歪(ひず)みを押さえきれず超越を起こしてしまったところのあることが悔やまれますけれど,主題との絡みでは差し支えないし。
 それより問題は,〈選択〉をめぐる話。
 『ひぐらしのなく頃に解』の後半で多世界解釈が表出してきましたけれど,それでも本編の「皆殺し編」から「祭囃し編」にかけてパラレル・ワールドは舞台装置という道具でした。それが「賽殺し編」では〈神の視点〉からの叙述に留まらず,多重世界を俯瞰する者による世界の〈選択〉というのが主題にしているのが一歩進んだところ。〈神のサイコロ〉を振る大いなる存在でありながら,盤上の駒に過ぎないという二重性を有する古手梨花。これまで綿々と布石を打つことで築かれた『ひぐらし』という物語空間を,視点人物の成長という主題のために上手く活かしており,面白く読みました。
 「選択肢を持たないゲーム」であるが故に「美少女ゲームのゲーム性とは何か」につき(一部で)物議を醸す原因となった『ひぐらしのなく頃に』が,自ら「選択することの価値」を主題に取り上げちゃうんだもんなぁ……。竜騎士07さんは恐ろしい人だよ。
 『ひぐらし』に《メタリアル・フィクション》とか《傷つける性》とかを結合させたら簡単にそれっぽい文章が書けてしまうので,取り扱い要注意。