その 黄昏の姫君に向ける眼差しは……

 天野こずえARIA(アリア)』第11巻(ISBN:9784861274312)を読みました。
 作中時間にして2年ほど見習いとしての時間を過ごしてきたところで描かれる一人前(プリマ)昇格のエピソード《Navigation 55》。
 「おめでとう」の声が響く場面を,陰鬱な心持ちで眺めていました。舟(ゴンドラ)協会は酷なことをするなぁ――と。
 ここに至るまでの間,数多くのエピソードが〈成長〉を語るために費やされてきました。
 そもそもアリスが初登場した回からして,藍華が包み隠さぬ対抗心をぶつけたことが契機となって関係が生じたのでした。

ARIA 3 (BLADE COMICS)
「あの子の性格を直してあげないと この先社会で絶対痛い目みるわ
 だから今 私たちがギャフンと言わせてあげなきゃいけないのっ」
《Navigation 11》 第3巻24頁

 この対抗的関係は巻を経ても続き,藍華はアリスを指して「後輩ちゃん」という呼称を繰り返し使うことで社会的立場を暗示します。ですが,藍華が時折顕著に示していた〈他者との距離感を測ることによって自我の確立を得る〉態度は,晃によって矯正されます。具体的には,「アリシアさんみたいな水先案内人(ウンディーネ)になれますように」と呟いたところにぶつけられる晃の言葉は,同世代間においても効力を持ちます。

ARIA 7 (BLADE COMICS)
 「いいか 藍華
  おまえは おまえにしか なれねーんだ!」
《Navigation 31》 第7巻26頁

 青春期における成長速度の差という問題意識は,まさに第11巻の冒頭《Navigation 51》に置かれたエピソードによって揺さぶり起こされます。しかしながら巧妙なことに[灯里‐藍華‐アリス]という後続世代での問題処理に先立ち,既に功成り名を挙げた先行世代[アリシア‐晃‐アテナ]の内部における葛藤を描いています。この構造があるために,後続世代の内部で(殊に藍華からの感情発露によって)関係性に危機的な亀裂が生じることを未然に防いでいます。

ARIA(10) (BLADE COMICS)

 水無灯里については,別なアプローチで問題の提示が行われていました。この,無垢・無辜・無謬によって彩られているかのようなネオ・ヴェネツィアにあっても物語空間内に“世界を統べる悪意”の存在することは,“輪っかの外”に居る人物から間接的に示されます。渡し舟(トラゲット)の仕事をした際に同僚となった「半人前(シングル)」として登場するのは,「ついこの前に一人前(プリマ)への昇格試験に落ちたばかり」の杏(オレンジぷらねっと),「一人前(プリマ)にはならない」「トラゲット専門の水先案内人(ウンディーネ)になりたい」と語るあゆみ(姫屋),そして本当の願いを語ることをやめたアトラ(オレンジぷらねっと)。この三人の姿を介在させることにより,灯里らが立ち止まってしまうことのないよう防波堤が築かれます《Navigation 48》。
 さて,周辺事情を処理したところでアリスについてです。
 幾度かの季節を過ぎるうち,後続世代3人の関係性は強固なものとなっています。社内の同僚と良好な関係を構築できていないことを指摘されても

 「私には灯里先輩達がいるからいいんですっ」
《Navigation 33》 第7巻84頁

と答えるまでになっていました。

ARIA 6 (BLADE COMICS)

 後続世代の内部に起こる摩擦は,パラレルな関係にある先行世代も担うことで軽減されます《Navigation 26:オレンジな日々》。後続世代に対して寄せられる“悪意”も,3人の連帯があれば霧消することでしょう。
――順当に,半人前(シングル)から一人前(プリマ)へと昇格するのであれば。
 晃は,顔のない匿名の悪意を受けて次のように述べます。

ARIA 9 (BLADE COMICS)
 「時には耳に痛い話を真摯に受け止めるのも
  一人前(プリマ)の務めだ」
《Navigation 44》 第9巻108頁

 即ち,アリスは弱冠14歳にして,かかる“悪意”に立ち向かうことを宿命付けられたわけです。半人前(シングル)という心の準備期間を経ることなく。

 今の私達に欠けているもの
 それはきっと
 一人前(プリマ)としての
 何ものにも負けない
 強い意志と――覚悟
《Navigation 44》 第9巻119頁

 アリスは「操舵の技術」「観光案内や接客」「舟謳(カンツォーネ)」の力量こそ高く評価されました。しかし,社会(業界)の中で生き抜いていくに足る精神の強さは?

 あの,黄昏時に風車が回る場面では,〈オレンジ・プリンセス〉に向けられる眼差しは暖かい。そして,この慈愛に充ち満ちた物語空間の中では,たとえ小さな諍いは起こったとしても,きっと乗り越えていく展開が待っている。
 しかし,必ずしも羨望ばかりではない「輪っかの外」からの声が聞こえてくる。
――病んでいるのは,物語に仮託して“悪意”を吐きだしている鬱屈した私。という自覚は,未だ,辛うじてある。