玉井建也『〈聖地〉へと至る尾道へというフィールド』

 先頃創設されたコンテンツ文化史学会の学会誌に載っていた論文「〈聖地〉へと至る尾道へというフィールド――歌枕から『かみちゅ!』へ」を読みました。所蔵している図書館が殆どなくて,入手が遅くなったもの。著者は玉井建也(d:id:tamait:20090521)氏。

  • はじめに
  • 一 尾道を訪れるということ――近世から近代にかけて
  • 二 舞台の創出と探訪――『東京物語』から尾道三部作へ
  • 三 「聖地」と「巡礼」――『かみちゅ!』を通じて
  • 四 何が聖地とされるのか
  • おわりに

 簡単に要旨を述べておく。もともと尾道万葉集歌枕として江戸時代から親しまれてきた名勝である〔一〕。それが小津安二郎東京物語』や,大林宣彦尾道三部作によってイメージが転換する〔二〕。近年では『かみちゅ!』というコンテンツが制作され,来福神社のモデルとされている御袖天満宮に絵馬が多数奉納されている〔三〕。
 末尾の付記において某財団から「瀬戸内」を研究するための助成金を受けたと記されておりました。それを前提に「コンテンツ文化」について研究テーマを選定するなら『かみちゅ!』だよね,というプロットは良く分かります。そして,映画作品を媒介にして歴史の流れを垂直方向に眺めていこうとするのも,歴史畑の人が書いたものとしては順当な流れでしょう。映画研究で育ったであろう年上世代を論文の読者と想定して,アニメの世界でも映画で起きたのと同じような現象があるんですよ,と説明を試みる作業も現時点では必要。そのうえで著者の玉井氏としては,第四節で述べるように,尾道を訪れた者の行動パターンは,[1]眺望,[2]社寺参拝,[3]大林作品,[4]かみちゅ!という4つの方向性(複数のレイヤー)があるという指摘に着目もらいたいのだと思います。
 ですが,この論文は“その筋の人間”からみると相当に引っかかりました。結論部分には次のような記述があります。

 これは尾道という歴史性のある(と認識される)場所であるからこそ成り立つ考えであるため,ただちに「だから〈聖地〉である」と結論づけることはできない。〈聖地巡礼〉の行動一つ一つを取り上げてみれば,他の大林作品の舞台を訪ねる行動などと大差はみられない。

 ここまでは私の見解も同じです。敢えて指摘しておけば,実写映画とアニメとでは虚構の作り込み度が異なることから,実際に現地を訪れるという行動に結びつくインセンティブ(動機付け)に強弱が出てくることはあるでしょう。ただ,本田透を引用するまでもなく“アニメだからリアリティは低い”ということが所与の前提ではなくなった時代においては,3Dと2Dとで分ける意味は薄れたことを指摘しておけば足りるところでしょう。
 問題は,次の一文です。

 では,なぜこのように尾道においては『かみちゅ!』だけが〈聖地巡礼〉と呼ばれるのか。

 少なくとも私は〈聖地巡礼〉と呼ぶことを差し控えています。このことは,舞台探訪アーカイブhttp://legwork.g.hatena.ne.jp/)の序文において宣言しているところです。従って,この問いかけ自体が疑義の対象です。それが,この論文では〈聖地巡礼〉という用語を特に定義せずに用いているという瑕疵があります。論文は,次の一文で始まっていました。

 オタクたちがアニメや漫画などの作品の舞台となった場所を訪れることを〈聖地巡礼〉という言葉でもって語られるようになった[注1:柿崎俊道聖地巡礼 アニメ・マンガ12ヶ所めぐり』]。

聖地巡礼 アニメ・マンガ12ヶ所めぐり
市中に流通している文献としては唯一のものなので同書を傍証にするのは致し方ないことだとしても,そのあとに『らき☆すた』の鷲宮神社の例を引いて補強してしまっているがために,論文が結論にきて混乱しているのだと思われます。
 指摘しておきたいのは,『かみちゅ!』『らき☆すた』『ひぐらしのなく頃に』『かんなぎ』『朝霧の巫女』あたりは作品の本質(ストーリー)において既存の宗教施設を基層レイヤーに見いだせる,珍しい方の例だということです。なので,私の立場においても〈聖地巡礼〉と称することに強い忌避はありません。ただ,それならそれで,上述の作品群の水平的共通性を(神社仏閣が本質的に関連してこないその他多くの作品群との比較において)先ず予め検証しておくべきところかと思います。少なくとも『おねがい☆ティーチャー』では存在しない現象を取りだして〈舞台探訪〉なり〈聖地巡礼〉なりに共通してみられる様相であると述べることはできません。
 先の問いかけに対し,玉井氏は次のように答えています。

 一つに考えられるのは〈聖地巡礼〉という語句・概念がメディアなどによって一般化され,またその言葉を被せられたのが「オタクたちがアニメや漫画などの舞台を訪ねる」という行動に対してであったことが,その一因である。これによって,他の映画などの舞台探訪とは差別化が行われてしまった。

 ここで玉井氏の述べている「差別化」については疑義があります。いみじくも玉井氏が繰り返し述べるように,「作品に登場した場所へ行ってみよう」という行動の発露そのものは同じ思考から発しているのであるし,行動パターンも同じものがあるというのであれば,その意味では[映画]と[アニメ・漫画]を区別する意味はありません。この論文の30頁において分析していた4つの方向性(多層レイヤー)という分析軸は,むしろ映画にもみられる共通性についての検証だったのではないでしょうか。
 もし私が同じテーマで論文を書くとしたら,尾道を舞台に設定している作品群の共通性を語ろうと試みます。玉井論文は『かみちゅ!』をもって尾道を代表させてしまったがために,共通項と特殊事情とが不明確になってしまったように感じられるところです。

■ 地域別リスト 34.広島県 尾道

http://legwork.g.hatena.ne.jp/genesis/11111111/p1

 他には,【1】旅に出ようとする契機となった作品が[映画]であるか[アニメ・漫画]であるかという虚構度によって生ずる差異の有無,【2】実在する場所を引用することによって構築される作品世界の強度,【3】オタクならではの行動パターンとしてコスプレ・痛車・痛絵馬があることのもたらす意味――といった語り口もありますね。