スタジオジブリ『借りぐらしのアリエッティ』

 どうせ日中は暑くて仕事にならないし――と映画館へ。『借りぐらしのアリエッティ』を観てきました。
 良い作品でした。映像美については文句の付けようがない(水の粘性に関しては興味のあるところでしたが)。
 ただ,なんか引っかかるんですよね……。
 ストーリーを粗っぽく要約すると,とある家の床下にすんでいた小人(アリエッティ)が短期滞在した少年に見つかり,いろいろあって,新天地へと引っ越すというもの。妖精に食べ物を分け与えるというのは岡野史佳1/2FAIRY!』にも登場するシチュエーションであり,英国の児童文学を想起させます(今調べてみたら,やはりそうでした)。ただし本作の舞台は多摩。誰か場所についての考察をしている人はいないかと探してみたら,意外にもthen-dさんが話題にしていました。

 閑話休題。違和感を感じ始めたのは終盤,引っ越しを決めたアリエッティが少年のもとへ姿を現した場面でした。この作品のドラマとしての中心は2つあって,[2]アリエッティの人格的成長については旅立ちのシーンで描かれています。ただ,中盤での主題に置かれていた[1]床下の小人と人間のふれあいが引っかかって仕方ない。小人の家が襲われるというシーンが中盤と終盤との境にあるのですが,アリエッティが叫び声を聞きつけて駆けだしても少年の方は動き出そうとしない。これが,どういう心理から生じたものなのか,掴みかねているわけです。
 作品の最後は“めでたしめでたし”という雰囲気で終わっているのですが,離散者が一時の住まいを逐われる場面に他なりません。これを,住まいも“借り”ているものだと悟った小人の視点から(すなわち前述の[1]として)みればいざしらず,人間の少年を視点人物としてみると凄まじく寝覚めの悪い話。作中では少年に心臓病を負わせ,手術に向けての前向きな台詞を言わせて後ろ暗さを打ち消そうとしていましたが,う〜ん……。というか,流浪の原因を作ったのは少年だし。これが,少年が無邪気一辺倒な人物であれば印象も違ったのでしょうが,半端に悟ったようなことを言い出す気障な奴だし。
 『アリエッティ』にはファンタジーな存在(小人)を掛け値なしに受容する人間が不在なために,爽快感には欠けます。少しばかり“青春もの”になってしまったことが引っかかりの原因なのかな。舞台の風景からして否応なく『となりのトトロ』を想起してしまうのですが,まっくろくろすけ」が去り際に恨み言を残していったら同じようにホロ苦いものだったのでしょうか。