新海誠『星を追う子ども』

 昨日,ホテルで朝食をもぐもぐしていたところ,テレビで背景画の描き方講座を紹介しておりました。「何だか新海ちっくな光線だなぁ」と思ったら,やはりチーム新海の背景美術の方でした。釧路では上映予定が無いので意識から外していたのですが,どうやら新作を公開中らしい。ということは名古屋であれば観られるかも……と調べてみたところ,名古屋駅の南方,徒歩15分ほどのところにある109シネマズでは午前10時35分からの上映がありました。これならば帰りのフライト(1505セントレア発)に間に合うということで観に行ってまいりました。
http://youtube.com/watch?v=T37GhIqsO28
 背景美術と劇伴音楽については文句なし――なのですが,ストーリーにおいて気になるところが出てきてしまうのはいつもの新海誠でした。

  • また明日,と言っておきながら自ら崖上からの**を図るというのは,異文化出身とはいえ些かディスコミュニケーションが過ぎるのではないか。あと,禁帯出物品を持ち出してきたままで**すると出身母体において回収業務のための負担が生じる(弟が駆り出される)なら,**の前に返納の努力をしようよ……
  • アスナが持っているクラヴィスは父から譲り受けたものだが,ではその父は何処から手に入れたのか? 
  • ファンタジー空間における原始社会的な描写のせいで『風の谷のナウシカ』の原作版を想起してしまうところに,テトっぽい小動物やら『もののけ姫』っぽい四つ足動物やらがいて,極めつけに島本須美さんの声。どうしても宮崎駿のコンテクストが出てしまうのが避けがたい。現状では新海誠の独創性がノイズに掻き消されてしまう要因にしかならず,もったいないと思う。
  • 突如として危難が生じるのは,いつもの新海誠。ですが,ファンタジーの文脈に落としているために『雲の向こう』に比べれば納得はできる範囲でした。
  • 登場人物が〈内面〉を言葉に出して語りすぎているために,説明口調な印象を受ける場面が散見されました。特に,最後の最後で〈神〉の声までも代弁されてしまうと,ね。

 観劇を終えて妙な引っかかりがあるのは,ジュブナイル的な構造に見えて,その実は星を追っていたのは《子ども》ではなかった――という展開に対してでしょうか。主題から説き起こせば,問題を抱えていたのは〈少女〉でも〈少年〉でもないわけで……。主要人物3人に割り振られたモティーフのカケラが結末で焦点を結んでくれないので,大団円という感想にならないのです。
 まぁ,こういうツッコミを入れられない隙のない作品だと,それはそれで寂しい思いをするのでしょう。主演を務めた金元寿子さんの声を通して聞くためだけでも,もう一度観たいところです。