さやわか著『僕たちのゲーム史』

 釧路高専で毎年発行している「図書館だより」に教員推薦図書を挙げて欲しい――との依頼がありました。話を受けたのは昨年10月のことでしたので,刊行されたばかりのさやわか(@someru)さんの『僕たちのゲーム史』(2012年9月,星海社新書)でレビューを書きました。す〜っかり忘れていたところ,4月になって掲載されました。旬を過ぎてしまいましたけれども,せっかくなので担当部分を載せておきます。

 アニメ,マンガ,音楽,あるいはゲームといったポップカルチャーは,趣味として付き合うには良き友ですが,研究対象にしようとすると実にやっかいな難物です。〈面白さ〉というものは,どう解明すればよいのでしょうか? 研究アプローチには様々なものが考えられますが,先ずは歴史を紐解いてみようという試みが世に問われました。
 ゲームの過去を紡いだ大著としては,赤木真澄『それは《ポン》から始まった』(2005年,アミューズメント通信社)があります。《ポン》というのは1972年にアタリ社が開発した卓球ゲームのこと。1970年代から80年代にかけて業務用に開発されたビデオゲームがどのように発展してきたのかをつぶさに追うもので,副題の「アーケードTVゲームの成り立ち」が的確に本書の概要を伝えています。
 でもこの本に対しては“なんか違う”という気持ちが拭えませんでした。ゲーセンの話ではなく,日本のパソコンゲームで紡がれてきたゲームの歴史を知りたい! その欲求に応えてくれたのが多根清史『教養としてのゲーム史』(2011年,ちくま新書)です。同書では技術の発展史を軸に置いたうえで,その技術を活かすアイディアがどのように組み込まれていったのかを追いかけています。
 しかしながら,多根の着眼では抜け落ちてしまう視点がありました。思うに,パソコン上でのゲームに関わる〈技術〉はWindows95の登場によって出そろいます。しかも,『To Heart』の登場を機にトレンドが形成されることになるビジュアルノベル形式は,言うなれば枯れた技術です。1990年代後半についての多根の分析は〈技術〉抜きでアイディアを語らざるを得なくなっており,やや精彩を欠く印象を受けます。
 それに対し,新たな分析軸を提示してみせたのが今回ご紹介する『僕たちのゲーム史』。著者のさやわか氏(@someru)はアニメやアイドルの分析も手がける物語評論家。氏の視座は単純明快で,ゲームとは《ボタンを押すと反応するもの》である,というのを不変の定義として掲げます。なるほど,その定義であれば,選択肢を排除した一本道シナリオである『ひぐらしのなく頃に』であっても,クリック動作によって文章と音声に変化が生まれるのでゲームだと言えます。そのうえで,ゲームにおいて変化してきたものは《物語をどのように扱うか》であるとして歴史を描いていきます。ゲームが歩んできた30年間の歴史を巧妙にまとめた本書は,知的好奇心を存分に満足させてくれるものでした。
僕たちのゲーム史 (星海社新書)