米澤嘉博記念図書館『相田裕「GUNSLINGER GIRL」 改造と再生の10年展』

 偶々東京へ来る予定のあった日に,いずみの(id:izumino)さんのトークイベント「変わりゆく『GUNSLINGER GIRL』の描写を読む」が開催されていたので,仕事の後に拝聴しに行ってきました。
 前半は絵の話をされましたが,成程と思わせる話が次々との連続でした。舞台探訪の視点からいえば,〈鳥瞰構図〉は実際に現地へ行っても取れないことが多いし,そもそも作家本人が自身で用意したものではない資料を基にしていることが多いので興味を持ちにくいところがあり,上からの視点は排除するクセが付いておりました。それが,人物描写の視点からいえば難易度が高いのだという話を聞き,絵を描けない者には持てない着眼点だと感じ入りました。
http://www.meiji.ac.jp/manga/yonezawa_lib/exh-aida_gun.html
 さて,この『ガンスリンガー・ガール』という作品,あまりに思い入れが強すぎて,完結したのにずっと単行本を開けずにおりました(第15巻の特装版を買い逃してしまった悔しさも多分にあり)。今回の展覧会を観に行く前に思い切って読んでみたところ,妙に〈歯〉の描写が多いことが気に掛かりました。例えば,ジャンとダンテの対決シーン,あるいはトリエラの最期を知らされるマリオ・ボッシ。どうにもリアルな〈歯〉は,いわゆる萌え系の絵柄にそぐわない。講演の中でいずみのさんは〈眼〉の描写を描写の変化を物語るものとして話をされていたのですが,もしかして――と思い質問を投げかけてみました。私は男共の醜悪さの表現として捉えていたのですが,いずみのさんからは〈歯〉だと「情念が出過ぎる」と返答いただいた,即ちそこに負の感情を読み取っていたのは興味深いところでした。
 他の方が出された質問で面白かったのは,ヘンリエッタの最期はあれでよかったのか? というもの。これに対するいずみのさんの回答は,ジョゼ&ヘンリエッタの関係性は(リコ&ジャン組との対比において)失敗例でなければならなかったから,でした。……まぁ,仰るとおりダメダメではありますが,あれはあれで美しい終焉だと思えてならないので,どうにも「失敗」とは認識できずにいます(^^; 
 作品の構造についてはペトロニウスさんが素晴らしい考察を手がけておいでです。 

この分析を借りて自己分析すると,終盤においては対等に配分されているはずの3つの描写軸のうち,対幻想の構造を強く読み取ってしまっているせいでしょうね。
 ちなみに,ここまで言っておいてなんですが,トリエラ派です。