山田栄子さんが出てこないのはいけないと思います。

 テリー神川「赤毛のアン」の生活事典』(1997年、講談社ISBN:4062069695)読了。
 作者はモンゴメリーの「赤毛のアン」に魅せられ、舞台となったプリンスエドワード島に移住した人物。ティールームを経営するかたわらで研究を続けて書きためたのが本作です。
 率直に言って、出来が悪い。
 この本は《事典》であることに留意すべきです。どういうことかというと、冒頭から順番に読んでいっても、まったく楽しくない。百科事典を【あ】の項から開いていくようなもの。そこで《事典》としての価値を判断してみるに、これが落第点。全10巻ある原作の一節を引用して解説がはじまるのですが、いったい何頁のどの場面なのかの説明すらありません。リファレンス性を持っていないのです。これを《事典》というのは、項目の羅列になってしまったことを悪びれもせず、開き直っているとしか思えません。
 あのね、作者が色々と調べて回って多くの知識を得たということは分かるのですよ。でも、それを書物にまとめるなら、ある切り口で切り取って、取捨選択しなくてはいけないでしょうに…… 知っていることを詰め込んでみた、という粗雑な感じが漂ってきます。
 第8章の植物篇が特にひどい。「赤毛のアン」に登場する草花樹木を網羅してみました――というのが、ありありとしています。「スイートピーマメ科のつる草です」といった、植生について知りたくて本書を手に取る人がいると思っているのでしょうか? 書くべきは、この島ではどの季節にどのような花が咲くのかだとか、トウヒやシラカバが登場することで物語の描写にどのような影響を与えているのか、という「赤毛のアン」に関わる話題でしょうに。
 他方、本書で最も期待されているであろう舞台(アボンリー村)のことなんか、わずか14頁で終わってしまいます。本書を読んだところで、プリンスエドワード島に行ってみようという気は、これっぽっちも起こりません。
 これは、編集者の力量不足が原因。文筆を本業としていない人物に本を書かせるなら、編集者がしっかりしていないとダメなものに仕上がってしまうという悪い例ですね。喫茶店の経営者が、客を相手に茶飲み噺を聞かせるのとは違うのですから。同じ曲を奏でても指揮者によって異なる趣のものに仕上がるように、あるいは、同じ料理が盛りつけ方によって味わいを増すように、どのような本を目指すのかをアドバイスしてくれる編集者は大切なのです。。
 言うなれば本作は《舞台探訪》ものですが、こうした企画にはアプローチの仕方があります。(1)原作(赤毛のアン)は真実であると信じ込み、虚構の世界を現実に存在するかのごとく演出する、(2)物語は物語として割り切り、作品が舞台としている時代(あるいは作者の暮らしぶり)を明らかにする、という流れがあります。(1)はシャーロック・ホームズの愛好者に良く見られる手口です。シャーロッキアンは「探偵氏は実在し、かつ、今でも存命である」として振る舞いますから。チャールズ=ヴァイニー『シャーロック・ホームズの見たロンドン』(河出文庫ISBN:4309461689)。(2)の例としては、森薫村上リコ「エマ ヴィクトリアンガイド」(ISBN:4757716435)が挙げられるでしょうか。いっそのこと(3)原作を読んでいないことを前提にして、物語風に書き進めるという方法だってあります。

エマヴィクトリアンガイド (Beam comix) シャーロック・ホームズの見たロンドン―写真に記録された名探偵の世界 (河出文庫)
 この『「赤毛のアン」の生活事典』は、そのどれでもない。迷走しているのです。これなら私に編集を任せてくれれば、少しはまともなものになっただろうに――と、僭越ながら思ってしまう。
 ちなみに、ホームズもメイドさん赤毛のアンも、すべて同時期、ヴィクトリア朝のものです。類書としてはホームズに関する優れた著作があるので、比較すると本書の弱点がまざまざと見えてしまいます。
 原作を隅々まで読みこんでおり、視学官とかレイヤーケーキが出てきたのがどこなのかをそらんじている人でもなければ、本書は楽しめませんね。衣装や鉄道などは興味深い話題を提供しているし、お菓子については良く調べてある。良い素材を手に入れているのに、それを生かし切れていない構成になっているのが勿体ないです。
cf. http://anime.tv.yahoo.co.jp/meisaku/anne/
cf. http://www.geocities.co.jp/AnimeComic/5815/