護くんに女神の祝福を!

 id:lapis:20050304(やっぱりエメレンツィアたんだよ座談会)を受けて、岩田洋季護くんに女神の祝福を!』第1巻(ISBN:4840224552)を読む。
 結局『イリヤの空』は読み進められずに保留しています。これが当該作品固有の事情によるものなのか、それともラノベ全般に由来するものなのかを考えるために。何を読んでもよかったのだけれど、たまたま推薦があったから、これでライトノベルのお勉強。
 ところが、早々と1頁目で考え込んでしまいました(^^; 問題箇所は、扉絵に添えられていた次のような文章。

人の意思に応え、あらゆることを可能にする奇跡の物質ビアトリス。
大気中に漂うその未知の微粒子を理解し、操り、知り抜くすべを教える日本で唯一の高校が、東京ビアトリス総合大学附属高等学校である。
(中略)
数千人に一人という難関の感応適性テストをクリアした者だけを受け入れる。

 この《設定》の宣言は、読者に2つの前提を受け入れることを強要します。まず第1に、主人公(護)やヒロイン(絢子)を選民として認知すること。そして第2に、この世界での能力は「努力すれば身に付く」ものではなく、先天的な素質によって決まるものであること。第3に、奇跡が自在に起こせる無限定の御都合主義。読者が感情移入する場合には、戦後民主主義を支えていた平等思想を放棄し、自己をエリートであるとみなすことになる。
 そうした前提はさておいて、ともかく読み進める。ところが、プロローグが終わったところで再び頭を抱える。なんだろう、この既視感は。
 転校初日に、さして取り柄もない少年が、学校きっての才女(話したこともないし名前も知らない)に見初められ、交際を求められる。そして生徒会に引き込まれ――
 あぁ、そうか。これは『うる星やつら』のキャラ配置で、『マリア様がみてる』(の「波乱の姉妹宣言」)を演じようとしているのか。どうして主人公が対象に選ばれたのかは語られず、もし仮に考えたところで大した理由があるわけではない。都合のいい世界。それにしても物語の組み立てが稚拙だなぁ。何よりも、文章力が弱い。
 既存のプロットをなぞっているので、《お約束》通りに進行します。勧善懲悪の時代劇とかハーレクイン・ロマンスのように、読み物を楽しみたい読者にとっては痛快でしょう。私の場合、読後に何も残りませんでした。