狂骨の夢

 京極夏彦狂骨の夢』読了。ネタバレに近いことを書いていますので、本作をミステリとして読もうという方はご注意ください。もっとも私は、本作を謎解きを楽しむための推理小説として読むのは無理だと判断しましたけれど。
 今回は作品要約はなし。とてもじゃありませんが、数百字でまとめられるようなものではありません。だってですよ、(1)佐田一家焼殺事件、(2)兵役忌避者猟奇殺人事件、(3)宗像民江さん行方不明事件、(4)双子山集団自殺事件、(5)謎の神主事件、(6)宇田川先生殺人事件、(7)金色髑髏(どくろ)事件、(8)逗子湾生首事件が同時進行で進んでいくのですから…… 

狂骨の夢 (講談社ノベルス) 文庫版 狂骨の夢 (講談社文庫)
 本作の主題は「宗教」ということになるでしょうか。今回は、主人公の一人である京極堂安倍晴明を奉じる神主として出演することに加え、新教(プロテスタント)の牧師である白丘らの宗教関係者が多数出演します。私が冒頭で謎解きは無理だと述べたのは、ある宗派についての知識がないと事情を理解できない構造になっており、作者は必要な手がかりを十分に配置していないことによるものです。その点を控除してミステリィとしての価値を判断すると、いささか凡庸な出来です。
 私は、宗教学ないし精神分析学の解説書として興味深く読みました。例えば、教会に身を寄せている降旗は精神神経科の医師だったという設定になっており、夢をめぐるフロイトの見解を簡潔に語らせています。

 日常生活を正常に送るために、人は幼児期より多くのストレスを抱え込むことになる。無意識の奥深くに抑圧されたそれらの体験、特に本能的欲望に関するそれは《フロイトによって》潜在思考と名付けられた。潜在思考は、覚醒時は自我の防衛機能によって制御されている。しかし睡眠下では覚醒時の枠を越えて発露する。《フロイトに拠れば》自我の抑圧が低下する睡眠下では、潜在思考は前意識に存在する過去の経験と結びついて意識化しようと働くのである。
 しかしそれも通常は意識化される際に自我の再抑圧を受けて歪曲してしまう。《フロイトのいう》夢の検閲である。抑圧された無意識的欲望――潜在思考は、意識化する際に圧縮、置換、視覚化、そして象徴により歪曲してしまう。この作業が《フロイトのいう》夢の仕事である。(新書版110-111頁)

 なるほど。潜在思考と夢の仕事の妥協の産物として「顕在夢」が現れると考えるから『夢分析』という手法が出てくるわけですか。今までフロイトのことをあまり意識していなかったのですが、その登場をしてコペルニクスダーウィンと並ぶ「第三の衝撃」とするのは知りませんでした。確かに、人類の自己愛を科学によって破壊した人物といえます。

人類は地動説によって宇宙の中心という玉座を失い、進化論によって神の子の血統を絶たれ、精神分析によって自己の完全支配という幻想も放棄した。(新書版473頁)

 このあたりについては、『ドリームハンター麗夢』と『トップをねらえ!』で得た以上の知識を持ち合わせていなかったので、大いに参考になりました。
 さらに、新旧キリスト教の相違について。「神父」が旧教(カトリック)で「牧師」が新教(プロテスタント)であることや、プロテスタントは教義の純粋性を重んじるので分派が数多く存在するといったあたりは知っていたのですが、懺悔(ざんげ)に対する態度の違いについては知りませんでした。

 懺悔とは勿論罪を告白し悔い改めることだが、通常 教会での懺悔はそれ以上の意味を持つと考えるべきである。教会で懺悔する信者は罪に対する償いの命令とそれに依る赦しを求めているのに外ならないのだ。これは洗礼後の罪を釈免する《告解》という秘蹟のひとつである。ここが加特力(カトリック)の教会ならそれで良い。加特力は秘蹟を認めているからである。
 しかし新教では、《洗礼》と《聖餐》以外の秘蹟を(基本的には)認めないのである。〔中略〕平たくいえば告解こそが旧教と新教の分裂を促したとも考える。告解の形骸化が贖宥(しょくゆう)を生み、その濫用が悪名高き免罪符を生み、それがルターに『九十五箇条の論題』を書かせて、結果宗教改革が勃興したのは有名な話である。(新書版96頁)

あぁ、そうか。ルターやカルヴァンを、歴史学ではなく宗教学として位置付けようとするとこのような表現になるのか。もう、『狂骨の夢』を小説というよりは教養書として読んでますね(笑)



 さて、ここからがネタバレになってしまいそうな部分。
 出雲では、11月のことを神無月ではなく神有月と呼ぶのは知っておりましたが、それが出雲だけに限られるものではない――諏訪盆地(長野県)と志雄町(石川県)でも同様なのだというのは初耳でした。何でも武御名方富命(たけみなかたとみのみこと)の《国譲りの神話》に由来するのだとか。この情報を開示していないのが、謎解きを成り立たなくしている要因その1。
 そして要因その2が《真言立川》。男女の和合から解脱に至るとする教義を持ち、金箔を貼り付けたドクロを本尊として奉る宗派なのだそうです。これがすべての事件をつなぐ縦糸になっていたのでは、推理小説になろうはずがありません。
 新書版の背表紙を見ると、『狂骨の夢』は「本格小説」となっています。ここでは深く触れませんでしたが、私は宗教の側面から眺めたうえで、面白い作品だと思いました。ただ、本作を宗教にまつわる小説と捉えるとなると、一部の殺人事件が主題から逸れてしまう。このあたりが、どっちつかずで無闇に長いという印象を与える原因でありましょう。
http://www.ltokyo.com/ohmori/kyoukotu.html大森望さん)
http://hpcgi2.nifty.com/mysterySAITEN/hyou.cgi?book_key=kyougoku_3(ミステリの祭典)
http://www.h4.dion.ne.jp/~sanryu/b~singon-tatikawa.htm
http://www1.kcn.ne.jp/~kikujo/11.html
http://www.renya.com/suwa/taisya.htm