教養としての〈まんが・アニメ〉

 大塚英志ササキバラ・ゴウ教養としての〈まんが・アニメ〉』(ISBN:4061495534)読了。
 まるで桜ルートの16日目で、黒■に食べられた凛@fateの気分。なんか、今まであれこれ評論めいたことを書き散らしていたのが恥ずかしくなる。
 ゴメンナサイゴメンナサイゴメンナサイ――
 私には、基礎知識として身につけておくべきものが備わっていませんでした。今まで書きなぐってきたものは、上辺を取り繕った「感想」に過ぎなかったと猛省。「批評」の地平は遙か遠い。
 本書は、大塚がマンガについて、ササキバラがアニメについて、各々5つの作者・作家陣を取り上げて論ずる。執筆の経緯は冒頭に述べられている。それによると、彼らが専門学校で〈まんが・アニメ〉を講義しようとしたところ、「おたくの基礎知識」が共有されていないことに気がついたのだという。そこで本書では、大塚やササキバラの世代が同時代的にどのように受け止められていたのかを言語化し、語り継がれるべき作品が持つ主題を追いかけていく。〈まんが・アニメ〉の戦後史総論とでもいうべき著作である。
 私が打ちのめされたのは、大塚が執筆した部分の構造。まったく系統の異なる作家5人を、ある命題によって結びつけている。
 本文は、手塚治虫の「まんが記号説」から始まる。大塚が着目するのは、敗戦直前の昭和20年6月に描かれた『勝利の日まで』。近代の写実主義とは異なる表現方法で描写された非現実的な存在であるはずのキャラクターに、死という現実を与えた瞬間に戦後の漫画表現が誕生したと大塚は捉える。そして、『鉄腕アトム』の書き換えられた第一話「アトム大使」を手がかりに、死にゆく記号を発見した手塚は同時に「成熟の困難さ」も問題として抱え込んだのだとする。これを大塚は《アトムの命題》と称する。
 《アトムの命題》は、主人公の成長物語として梶原一騎巨人の星』『タイガーマスク』『あしたのジョー』に受け継がれる。しかし、主人公が「成熟の困難さ」という葛藤を内包しているが故に、その結末は主人公の破滅によって幕を閉じている。
 他方、《アトムの命題》を主人公の内面に向けて深化させた潮流として「24年組」を置き、その代表例として萩尾望都11人いる!』と石森章太郎龍神沼』を取り上げる。
 続く80年代、少女漫画の変革が一区切りついた時点において、《アトムの命題》を受け継いだ正当な後継者として吾妻ひでおを置く。その意図するところは、手塚的な「記号」絵に「性」を付与し、意味や物語を解体させたということ。大塚は、吾妻によってロリコンまんがは到達点に達し、それ以後の20年間は縮小再生産を続けているに過ぎないと断じる。
 そして90年代、《アトムの命題》は、自分たちの身体(女性性)と自意識を前にして戸惑う女性作家に受け継がれたとして、岡崎京子を挙げる。
 戦後漫画史を「記号的身体」と「生身の身体」の狭間にある問題として位置づけ、すべてを《アトムの命題》に帰結させるのが大塚の史観。筋道をつけるために無理をしていることはわかるけれども、そのダイナミズムに魅せられた。