イリヤの空

 ただいま、22時20分03秒。
 秋山瑞人イリヤの空、UFOの夏』を第3巻の途中まで読んだところ。いつもならば終わりまで読み終えてから講評を書き始めるところなのだけれど、思うところあって…… この先、嫌なことが起こりそうな予感がするから。自分を納得させるために、あらかじめ防護壁を張っておこうと思う。
イリヤの空、UFOの夏 その1 (電撃文庫) イリヤの空、UFOの夏〈その2〉 (電撃文庫) イリヤの空、UFOの夏〈その3〉 (電撃文庫)
 ライトノベルの代表作だということで、情報消費してみようと思い立った。私がこの作品を認知して読もうという気に至ったのは、昨年の6月16日のことらしい*1。たぶんこの時期に「ラノベ」という用語を見かけた頻度が閾値を超えたのだと思う。で、ずっと違和感を持っていたのです。わざわざ少年少女向け小説を特定区分にカテゴライズする必要は無いだろうに、と。しかし本作は、今まで読んできたものとは異質。別なものという印象を強く受ける。
 ちなみに私は、高校生の時に角川スニーカー文庫を読みあさり、神坂一スレイヤーズ!』(ISBN:4829123451)は初版を発売月に入手している(自慢)。不慣れなはずはないのに、『イリヤの空』では第1巻の半ばにも達しないところで、拒絶しそうになった。
 帯のアオリによれば「ボーイ・ミーツ・ガール」もの。中学2年生の少年=浅羽直之は、夏休み最後の日、誰も居ないはずの夜のプールで、少女=伊里野加奈と遭遇する。
 私が途中で投げ出しそうになったのは、意識と空間が内向きに閉じているから。「読者たる私」の居場所に苦慮する。この空間は「読者=主人公」という感情移入をしていないと、居心地の悪い世界になっている。
 この世界には、少年と少女しか居ない。しかも、その世界は、ヒロイン(イリヤ)の一言によって築かれる。

「うるさい。あっちいけ。」

彼女は、こうして周囲の人々を拒絶する。そして、その言葉を浴びせられていない唯一の存在として主人公がある。把握すべき対象は互いに1つに限られ、結ぶ線は1本しかなくなるのであるから、感情の向かう先はその1点に向かう。でも、それは恋愛どころか友情でもない。たまたま感情を射出した先が、柔らかい胸の所有者だったというだけ(それが重要な考慮要素であることは否定しない)。少年の行為は、認識を通じた「存在の証明」。小説ではないものに同種のものを求めると、新海誠の『ほしのこえ』がすごく近い(こちらは短い作品だったし、映像に気を取られていて、見ている最中には物語構造に気がつかなかったけれど)。
 そうすると、この物語の結末は大きくいって2つの可能性しか考えられない。つまり、恒常性(ホメオスタシス)が働き続けて2人だけの世界が維持されるか、さもなくば―― 嫌な予感というのは、これなん。べつに、結末がどうなろうとも構わない。そもそも論で、このような関係を物語に投影するということ自体に懐疑的になってしまって。
 悪い作品じゃないのです。駒都えーじの描くイリヤは可愛いし、ぱんつはいてないし。ほとんど会話が成立しないけれど、アニメにすればイリヤの乏しい表情の変化が逆に劇的な効果を生むだろうし。文章にしても、整っているとは思えないけれど悪いわけではない。小題でいうと、「正しい原チャリの盗み方」「無銭飲食列伝」は生き生きとしたストーリー展開が楽しめた。でも、どちらも本来の主人公が出てこない挿話なんですよね。前者は妹(浅羽夕子)が、後者はサブヒロイン(須藤晶穂)が中心。そんなわけで本作の本質を掴みかねており、どう位置づけるかに戸惑っているところ。

*1:キーワードの編集履歴を見ると、いつ頃、何に関心を持っていたのかがわかる