なぜあなたは「負けた」と思いこむのか

 斎藤環「負けた」教の信者たち――ニートひきこもり社会論』(中公新書ラクレISBN:4121501748)読了。
 おおっ!と思わせる書名だが、教義がズバリ書かれているわけではない。期待しすぎると肩すかしを食らう。本書は『中央公論』に連載された時評を中心とする26の短編から成っており、それぞれ別個に書かれたものを内容別に並べ替えたもの。それらを統合したときに生まれたのが『「負けた」教の信者たち』なのだと、冒頭で述べる。この序文は本書の内容を凝縮したものであり、一読したところでは理解しかねるのだが、ひととおり読み終えてから読み返すと得心がいくようなものとなっている。
 ひきこもり研究の先駆者である著者は《情報格差》に着目する。若者の勝敗を決定づける軸の1つが「コミュニケーション・スキル」である、と斎藤は説く。コミュニケーションが苦手だと思いこまされてしまった時、「負けた」という自意識が生じて自分を「負け組」に分類する。その果てに「ニート」「社会的ひきこもり」といった問題状況が生じるのだ、と。
 そして、次のような推測をする。現状を否定し「負けた」と思いこむことで守ろうとしているのは、プライドなのではないか。このナルシシズムの産物を著者は「自傷的自己愛」と名付ける。この推論に至るまでの思考過程を、《若者論》《メディア論》《公正論》という3つの文脈に沿って整理し直したうえで提示しているのが本文である。
 時評というものの性質から、少々まとまりに欠けるきらいはある。大きなテーマをめぐって論じているわけでもないので、散漫な印象も受ける。それでも、さすがは精神科医斎藤環だと思わせる切り口であった。


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