《萌え》についての言語学的実証研究

● 「萌え要素」という言葉には二種類の使われ方がある
 ひとつの意味は、評論家の東浩紀が『動物化するポストモダン』で提唱した造語である「萌え要素」。
 もうひとつは、単純に「萌え」と「要素」という二単語を組み合わせただけの日本語「萌え要素」。
http://d.hatena.ne.jp/izumino/20050803#p1

 いずみのさんによる調査研究。前者はキャラクターのパーツを指し,エレメント(element)に相当する。それに対して後者の用法はファクター(factor)としてのそれであり,「要因」や「原因」と置き換え可能であるというもの。そして,後者の用法の方が一般化しており,この場合にはパーツを表すものとして「萌え属性」が使われる傾向にあると言う。
 たまたま当所でも,同じ資料を使って前日のエントリー*1を書いています。先方へは,昨晩のうちにコメントを書いてきました。

# genesis 『 私は東浩紀の用法で《萌え要素》を用いておりました。そうすると,作品の性格として〈萌え〉を志向しているものを指しているかどうかを述べたい場合――具体的には引用されていた事例のような場面で困るのですが,思い起こしてみると《萌え成分》ないし単に《萌え》と表現していたように思います。▼ 《萌え属性》ですが,これは人に対する attribute ないし property のことだと考えておりました。すなわち,読み手なりプレイヤーなりが,どのような《萌え要素》を好んで消費しているのかを表示するためのものとして,です。』

 未だ言い足りないので,これを補足しておきます。
 自分語り(カミングアウト)をしておくと,私はえびふらい『夢で逢えたら』(1991-93年)でネコミミに目覚め,フォア・ナインの『GaoGao!』シリーズ(1994-97年)*2で動物耳の奥深さを知りました。その甲斐あって,あさると彪さんが描かれるような「ふわふわのしっぽ」を目にすると萌えます*3。この場合,私の〈萌え属性〉はケモノ娘さんであり,〈萌え要素〉は猫耳なり尻尾なり首輪なりである,という言い方になります。
 東浩紀の用法に従う以上,《萌え要素》が萌えを掻き立てる部品を指すことが私の出発点*4。そこから順に言葉を当てはめていっています。ちなみに私は,属性と言われると,

c:\> attrib +r *.*

が思い浮かぶMS-DOS世代。そのため,属性の言い換えとしてはアトリビュートプロパティ,すなわち「特質」や「特性」がしっくりくるのです。
 私の理解するところでは,東的に《萌え要素》という時には,物語(ドラマ)から孤立してキャラクターに対し配置されるものという意味合いがあったように思います。*5この文脈が脱落したところにおいては,いずみのさんが指摘したような状況が発生するのは自然なことかと思います。「キャラに備わった萌えさせるための要素」とも「私が萌えを感じる要素」とも読めますので。私も違和感を感じていたのですが,その正体が掴めました。
 《萌え成分》については,「シュークリーム分」と同じ由来を持つ転用ですから,いずみのさんが

なんとなく「最近萌え成分が不足がちだから、萌えアニメでも観て補給せねば」みたいな、栄養素のような言い回しを連想しますし。

と述べられるのは,まさしくその通りです。個々のキャラクターの仕上がりを説明するためのものとしては不向き。しかし逆に言えば,総体としての作品について論ずるには便利な言い回しだと思います。「『ココロ図書館』や『苺ましまろ』には〈萌え成分〉が豊富に含まれている。でも,〈萌え成分〉の他には何もない」のように*6
 話を根源的なところにまで差し戻すと,そもそもの《萌え》についての共通の理解が得られていないということもあるのでしょう。特に意識せず,単に「好み」「趣味」の言い換えとして《萌え》を用いる方が多くなったかと思います。用語が一般化して拡散したということでは,《萌え要素》と同じ。私は斎藤環に従い,《萌え》をセクシャリティにおける「虚構コンテクストへの高度な親和性」*7と把握します。端的に言ってしまえば,キャラに対して肉体的に欲情できるかどうか。
 私個人としては用語の使い分けをしていても,その用法が一般的ではないとなると,これは気をつけないといけません。


追記(2005/08/05)
http://d.hatena.ne.jp/taketooru/20050803#p3 (酒出とおるの日記)
 私の文章は「萌え要素の発見」だけを考慮に入れて書いたものですが,こちらは「萌えキャラの生成」にまで踏み込んでいます。[第1段階]キャラクターを萌え要素へと分解する(カテゴリー化=記号化),[第2段階]萌え要素の集合体を対象としてキャラ萌えする,[第3段階]萌え要素を付与して,萌えキャラそのものを形成する――ということを例を踏まえて説いています。ここで言う第3段階は,東浩紀流に言うと「データベースをもとにしたシミュラークルの生成」となるでしょうか。
 で,私は第3段階のものを生理的に受け付けないので,原理的な理解に留めているわけです。酒出とおる氏の表現を借りれば,「空中分解」してしまった定義を必死になって守りながら用語の用法を割り出しているのであって,傍から見れば滑稽なことでしょう。

*1:http://d.hatena.ne.jp/genesis/20050803/p1

*2:原画:わつき彩雲さん。詳細については,次のサイトを参照。
http://www.campus.ne.jp/~ishigami/AMUSEC/BISYOU/DEEPREV/REV-GAO.htm
引用画像は,第3作『ワイルドフォース』のパッケージ画。

*3:実は,Firefox のエンブレムにも,ちょっぴり萌えたりする。

*4:『動ポモ』ではデ・ジ・キャラットを図示し,[フリルをつけまくったメイド服に白い猫耳帽子,猫手袋,猫ブーツ,そして猫しっぽ]といったものを《萌え要素》として例示している。

*5:そのため,物語の進行から生じるものである〈ツンデレ〉を《萌え要素》として述べるのは不適切だと私は考えています。さすがに古典的・原理的すぎる理解だと思いますけれど。

*6:ケンカ売ってますが,私はこれらの作品が,どうしても読めないのです。ぎりぎり境界線に位置するのが『今日の5の2』。物語の求心力に惹かれる読み方をしていることの負の側面だと思う。どうせ私は団塊ジュニア……

*7:斎藤『戦闘美少女の精神分析』49頁。