ユリウス・カエサル ルビコン以前

 塩野七生(しおの・ななみ)『ローマ人の物語――ユリウス・カエサル ルビコン以前』を読む。
ローマ人の物語〈8〉ユリウス・カエサル ルビコン以前(上) (新潮文庫) ローマ人の物語〈9〉ユリウス・カエサル ルビコン以前(中) (新潮文庫) ローマ人の物語〈10〉ユリウス・カエサル ルビコン以前(下) (新潮文庫)
 冒頭では,前巻の繰り返しになる内容を,カエサルという人物からの視点で叙述し直す。そこで語られるのは,共和制ローマ元老院体制)の綻び。ここで登場する人物たちを,塩野は[野心]と[虚栄心]の組み合わせで位置づけてみせる。中盤からは『ガリア戦記』を追う。戦役を終えたとき,元老院カエサルを反体制であるとみなす。そして,カエサルルビコン川の岸に立った。
 カエサルへの心酔を表明してやまない塩野の手になるものであるから,前巻までの冷静さはちょっぴり薄れる(愛慕の情が透けて見えるのだ)。かといって,個人の伝記には陥らないよう自制していることも分かる。
 カエサルという人物を離れてみたときには,中部ヨーロッパの成り立ちを思い描くための触媒として興味深かった。現在の地図を見ながらだと,どうしても国境というものに思考が縛られてしまう。それを,「ライン川の手前に住むガリア(ケルト人)諸民族」と「ライン川の向こうから圧迫を加えてくるゲルマン人」という構図で大まかに描いてもらうことにより,ローマン・ガリア(=フランス文明)という概念を自分のものにできたことは大きな収穫であった。