フロイト=ラカン

 新宮一成(しんぐう・かずしげ)=立木康介(ついき・こうすけ)編『知の教科書 フロイトラカン』(ISBN:4062583305)を読む。
 この本からは,〈分かってもらおう〉という意欲が伝わってこない。どうしてなのかを考えながら頁をめくっていたところ,どうやら次の箇所が背景として作用しているのではないかと思えてきた。

  • 精神分析家になるためには精神分析を受けなければならない。(201-202頁)
  • ラカンの生前に出版された唯一の書『エクリ』(Les Ecrits)を読まなければならない。(213頁)

 つまるところ,精神分析を受けて精神分析家になり原書を読みなさい,そうすれば精神分析が分かるでしょう(そうしなきゃ分からないよ)――という姿勢で書かれている。問題意識を持った読者には,すこぶる有用な書なのであろう。私のように,そもそも「精神分析とは何か」についての知見を得ようとしている入門者にとっては,かなりきつい。
 それでも一通り目を通したおかげで,勉強にはなった。
 第二部「フロイトラカンのキーワード」では,「ラカンから出発してフロイトへ遡るという方法」を取る。すなわち,ラカンのタームとフロイトのタームをスパイラルで結び,フロイトのどのような〈発見〉をラカンが〈継承〉したのかを解きほぐしていく。これにより,理解は出来ないまでも,両者に差異があることまでは確認できた。
 第三部「三次元で読むフロイトラカン」は,実践編とでも言うべきところ。これにより,〈精神分析〉という枠組みを用いて何をやろうとしているのか――解釈法学で言うところの《射程範囲》が見えてくる。
 それにしても,敷居の高い書である。読みこなすには,先に入門書を読んでおくか,別に基礎知識を仕入れておく必要がありそうだ。しっかりした書評は,こちらへ譲ることにする。
http://d.hatena.ne.jp/./PreBuddha/20050514#p1