オルガスマシン

 イアン・ワトスン(Ian Watson)『オルガスマシン(ORGASMACHINE)』(2001年,ISBN:4877344586)。玄鉄絢少女セクト』において登場人物が読んでいた本として紹介されていたのだが,「作者曰く,ハードコア・ウーマン・リブ小説だそうである」(80頁)ということの意味が図りかねたので,取り寄せて読んでみた。
 培養液の中で畸形に育てた女性の素体に,擬似的な人格を組み込み,依頼者の男性宛に出荷される〈カスタムメイド・ガール〉。乳房を六つ備えられた娘,毛皮をまとう獣娘,乳首をライターに改造された娘。彼女らは記憶と人格を制御され,様々に性的消費をされる。主人公ジェイドは自動販売機に取り付けられ,コインと引き替えに「スロット」への挿入を受け入れる。自由を得た彼女らは蜂起し,男達に立ち向かう――
 う〜 つまらないです。1970年に英国で書かれたサイバーポルノとしてならば意味はあったでしょう(もっとも,本書はポルノ的表現を殆ど含んでいない)。しかし,現実は35年前の空想を遙かに凌駕しており,もはや構想(プロット)単独での驚きはない。ウーマンリブなどという時代的役割を終えた語句で説明されるように,本作は未来を舞台にしていながら過去の話をしている。支配する男性と支配される女性という単純な二項対立に終始しているので,内面性などは全く顧慮されないのも,つまらない理由。文章にしても,まだるっこしくて読みづらい。
 人形に奉仕を強要する(あるいは人形を愛する)ことは,もはや架空の話では済まない。極めて精巧な造形されたラブドールに,AIBOのような仕草を可能とする装置を組み込み,ギャルゲーで培われた感情回路(インタラクティブ性)を搭載させることで,美少女人形を「観用」ないし「愛玩用」として供することは十分に実現可能だろう。技術的課題の解決は目前に迫っている。
 ササキバラ・ゴウ〈美少女〉の現代史』(2004年,ISBN:4061497189)では,川原由美子の『観用少女』に登場する〈プランツ・ドール〉を美少女像の目指している到達点の象徴としたうえで,「美少女とひとり暮らし」というライフスタイルに伴うリアリティの揺らぎを「倫理」の問題として把握している(190頁以下を参照)。そのような問題関心を持たないまま『オルガスマシン』が提示するテーマは,邦訳が出された時点で既に陳腐*1。褒めるべき要素が見当たらない。

 ひょっとして、この作品の正しい読み方は
 “そぉじゃないだろ! ちくしょう分かってねぇなぁ! ヲレだったら……”
とキャラ萌え妄想を広げる事なのかも知れません。
http://www.sf-fantasy.com/magazine/bookreview/020401.shtml

*1:それに対して手塚治虫鉄腕アトム』では,人間とロボットの結婚に際して苦悩する姿を描くなどしていた。〈アトムの命題〉は今なお有効である。