パウロとペテロ

 小河陽(おがわ・あきら)『パウロとペテロ』(講談社選書メチエISBN:4062583321)を読んでいる。
 出だしで読むのを止めようかとも思った。えらく読みづらい。第1章の最初「アンティオキアの出来事」では,いきなりパウロがペテロを攻撃し始めるのだ。何の前置きも無しに――。かといって,文章が難解なわけではない。
 どうしてだろうと思いながら読み進めていたのだが,ようやく章の終わりまできて得心がいった。2つの点で,問題があったのだ。
 まず第1に,構成の失敗。ミステリになぞらえて説明すると,まず老人が殺される現場が映しだされた後,急に被害者の幼年期まで時代が遡り,延々と生い立ちについて語られるような作りをしているのだ。確かに「アンティオキアの出来事」は,第1章で語ろうとしているテーマのために必要な前振りなのだが,それが説明されるのは80頁近く後になってから。その間,読者は明かされない謎に悶々としながら読み進めることになる。
 そして第2に,対象とされる読者像の誤り。著者は新約聖書学の教授なのだが,著者がこの本を通して語りかけようとしている相手は,そこそこキリスト教に造詣の深い人物を思い描いている節がある。
 私が教えを請うた保原先生が良く仰っていたことに,「文章を書くときには高校生を相手にするつもりでいなさい」というのがある。すなわち,義務教育を終えた段階の知識と読解力を備えた人物が読みこなせる程度のものが《一般向け》である,と。この基準に照らすと,本書は少々高度。
 どうも,元々は神学論文だったものに手を入れ,教養書に仕立てたのではないかと思う。どうしてかと言うと,途中,私が法律の論文を書くときに使うような論法が紛れ込んでいるから。
 例えば74頁あたり。復活のイエスが顕現したことで失意のペテロが立ち直る場面。著者は,『マルコ福音書』『マタイ福音書』『ルカ福音書』や『使徒言行録』とで少しずつ記述が異なることに着目する。これらの文書は記された時代や記者が少しずつズレていることから,その違いは原始教団によって〈使徒〉の位置づけが変化していったことを反映しているのであろうことを解き明かしていく。この手法,私が裁判例の分析をやる時に良く使う手法です*1
 この手法,〈通説〉があるところに〈新説〉を提示するには効果があるのですが,そもそも共通認識が無いところでやると伝わらないのですよね。本書では,説明もなく『共観福音書』といった用語が飛び出してくるというのも不親切。
 そんなわけで「読みづらい」と感じる本ではあるものの,解き明かされている内容――「ユダヤ教徒の中のセクト」として存在していた「キリスト支持層」が教団として成立していく過程は面白いです。著者の小河氏は,文書に記されていることを文字通りには受け取らず,様々な解釈を柔軟に導いている。知的好奇心を満足させてくれる本。

*1:実は,法律と宗教は根っこのところで良く似ている。自然科学と違って絶対的な真理というものが無く,論理を突き詰めていった最後に残るのは価値観を〈信じる〉かどうか,だったりするので。