関哲行 『スペイン巡礼史』

 大学生協の書籍部に出かけると,新書新刊の棚をじっくり眺めるのを楽しみにしている私ですが,ここ数か月ほどは買いたいと思わせる魅力を欠くものばかりで寂しかったのです。それが,2冊も立て続けに〈教養書〉と呼ぶのに相応しいものが登場して,喜んでいるところ。
 そのうちの1つ。関哲行(せき・てつゆき)『スペイン巡礼史――「地の果ての聖地」を辿る』(講談社現代新書ISBN:4061498207)を読了。著者は中世スペイン史学者。山川出版社から『世界歴史の旅 スペイン』という本を上梓しているのですが,こちらも良い意味で「教科書会社らしい」つくりのものでした。
スペイン (世界歴史の旅)
著者の能力については信頼が置けるので,本書は中身の検分をせず購入*1
 さて,中世キリスト教の三大聖地を御存知でしょうか。まず,エルサレムは有名ですよね。中学校で習う歴史(十字軍遠征)でも登場するくらいだから。それと,教皇のいるローマ。そして本書が扱う,サンティアゴ・デ・コンポステーラ(Santiago de Compostela)。
 十二使徒のうちで最初に殉教した聖ヤコブ(Santo Yacob)の墓は長年,所在不明とされてきた。それが814年頃,サンティアゴにて「発見」される。伝承では,パレスチナで船に乗せられた聖ヤコブの遺骸は,かつて布教に赴いた地スペインに神の意志で流れ着いたのだとされる。時の権力者カール大帝シャルルマーニュ)と教皇レオIII世により捏造され喧伝されたものだろうと,著者も推測していますけれどね。

だが本書にとって重要なのは,さまざまな宗教で確認される奇跡の捏造ではない。捏造された奇跡がなぜ,どのようなメカニズムで人々に受容されるのか。奇跡のなかの何が人々を巡礼へと駆り立てたのか。問われなければならないのは,この点であろう。〔94頁〕

このような立場から,キリスト教世界の〈西の果て〉に位置する聖都サンティアゴへの巡礼が果たしていた機能について叙述するのが本書。中世において,聖地エルサレムイスラム教徒によって奪われており,聖ヤコブは国土回復運動(レコンキスタ)において回教徒打倒(モーロ人殺し)の守護聖人と崇められる*2。そうした〈聖ヤコブ伝承〉が抱え込んでいる民衆信仰であるとか,習合現象(シンクレティズム)について解き明かされる【第2章】。青池保子『修道士ファルコ』(ISBN:4592886275)の中のエピソードに,懲罰としてサンティアゴ巡礼が命じられる場面がありましたが,これなどは「強制巡礼者」〔104頁〕の例ですね。

サンティアゴ巡礼路 (本書114頁より引用)
 巡礼行の実際を綴り【第3章】,巡礼路沿いに成立していた都市群(地方霊場)の成り立ちを明らかにし【第5章】,巡礼者のために用意された慈善施設と施療院について触れる【第6章】という構成は実直なもので,歴史学者が丹念に史料を当たって書いたものだと感じ入る。
 気になるところといえば,まえがきと第1章。巡礼が普遍的宗教現象であることを示そうとするのはいいのだが,イスラム教における聖者・聖遺物崇敬について触れた部分は,本体のスペイン関連に比べたとき「取って付けた」ような感がある。
 また,本書で重要なキーワードになっているものに「宗教的観光」があるが,視点の提示としては弱い。それというのも,類書の多くは「宗教的観光」の視点で書かれているからである。例えば,壇ふみほか『サンティアゴ巡礼の道(Camino de Santiago)』(ISBN:4106020920)という本があるが,女優がテレビの取材で聖地巡礼っぽいことをした様子をまとめたものだし*3
サンティアゴ巡礼の道 (とんぼの本)
 さらに,「サンティアゴ巡礼と四国巡礼」の親近性については,歴史というより観光学の視点が混ざっており「ちぐはぐ」な印象すら覚えた。もっとも,あとがきでについて再度触れられており,相違点(遠さ)についてもきちんと指摘している。牽強付会で終わらせていないところに,ほっとさせられた。小説家が歴史を書いた読み物のような躍動感は持ち合わせていないけれど,そんな堅さが嬉しく思えた一冊。

*1:最近,新書に備わっているべき最低限の信頼を欠くものがあって安心できないん。
e.g. http://d.hatena.ne.jp/genesis/20051111/p1
 付言しておくと,ISBN:4480062718体裁で出版されていたならば評価しますよ。論理の構築は面白かったから。

*2:なお,コロンブスが1492年にアメリカ大陸を「発見」したことで,サンティアゴは〈西の果て〉としての地位を失い,聖性が剥奪されることになる。

*3:初出は,『芸術新潮』1996年10月号。「とんぼの本」シリーズの例に漏れず,収載されている写真が美しく,添えられた文章も良い。サンティアゴ巡礼に関心を持たれた方が最初に読むにはお薦め。