大澤武男 『ユダヤ人ゲットー』

 家を出た直後に見知らぬものに襲われ,命からがら逃げ込んだ場所。それがゲットー(Ghetto)を見た最初の記憶。定かではないのだけれど,下水を通っていったりネズミに遭遇したような覚えがある。あれは“Ultima III Exodus”だったろうか。FM-77AV40EX の頃の話だけれど。今から考えてみれば,随分と「政治的に正しくない」(politically-incorrect)存在だなぁ。
 さて,映画『ヴェニスの商人』に登場した場面が引っかかっていたこともあり,大澤武男(おおさわ・たけお)『ユダヤ人ゲットー』(講談社現代新書ISBN:4061493299)を読む。著者は,本書執筆当時にはフランクフルト日本人国際学校事務局長を務めていた人物であり,他にも幾つかドイツにおけるユダヤに関する著作がある。
 1987年2月,フランクフルトにおいて工事現場からユダヤ人ゲットーの跡が発掘された。議論を経て,ゲットー博物館(Museum Jugengasse)が建設された。本書では,フランクフルトにおけるゲットーの歴史をケーススタディとして取り上げている。換言するとフランクフルトにおける出来事しか書かれていないので,横断的な理解には結びつかない。1つの個別事例を詳細に見ることで,全体像を把握する手がかりにしようという立脚点だ。
 フランクフルトでゲットーの建設が始まったのは,1460年のこと。それ以前からユダヤ人は居住していたが,強制移住が講じられた事情について触れるのが第2章「ゲットーの成立とその構造」。ドイツ史についての中でのユダヤ人について粗筋にまとめられてはいるものの,このあたりは史料の提示も少なく物足りなさを感じるところ。あくまで前置きということだろう。
 本書の中核を為すのが,第3章「ゲットーでの日常生活」。実に細かいことまで触れられている。
 第4章「過密化,そして解放の動き」では,居住者数の変化が紹介されている。成立直後の1463年には110人だったものが1556年には560人へと徐々に増えていったものが,1591年には2,200へと爆発的に増加している。地図を見ると狭く細長い土地ではあるものの,最初の11世帯を収容するには余裕があった。そこへ末期には3,000人近くが押し込められることになったわけだから,生活環境の悪化は想像するに余りある。
 ゲットーが解体されるのは1810年フランス革命の理想を掲げたナポレオンが,北イタリアに続きドイツでも解放に着手したことについて触れるのが第5章「ゲットー後史」。外的な圧力がなければ,社会体制の自己変革は難しかったのだろうか。
 冒頭に登場した遺跡の保存をめぐり,次のような議論が提起されていたというのは興味深い。

 その時の争点の一つは,「果たしてユダヤ人ゲットーとはユダヤ人を隔離,差別するためだけのものだったのだであろうか。むしろ,ゲットーは,絶えず迫害され,虐げられているユダヤ人を保護するための避難所ではなかったか」という見方であった。
167頁

 解放後もゲットーに住み続けた者達がいたということから,差別構造を解消していくことの困難を再認識する。

 自由になったとはいえ,外部の社会に順応できず,取り残された貧しいユダヤ人達は,ゲットーを去ることの不安とむずかしさの中で,細々と昔ながらの生活を続けていた。
243頁