塩野七生 『ルネサンスとは何であったのか』

 塩野七生(しおの・ななみ)『ルネサンスとは何であったのか』(ISBN:4106465019)読了。
 塩野の著作は色々読んだけれど,これが今のところ最高傑作だと思う。
 以前,学習塾に勤めていたときのこと。面談で勉強方法について話をする(で,何とかウチの塾に入会させようとする)わけですが,自宅学習で何を使ってるの?と聞くと,いちばん多い(お断りの)回答は「進†ゼミをやってるから……」でした。そこですかさず,そんなのより僕の講座においでよ――と誘うわけです。通信添削で満足できるような子はそもそも講習会に来ないから,かなりの確率で翌月から私のお客さんになってくれたものです。
 そんなある日のこと,『教科書が教えない歴史』で勉強しているという子がいたのです。あの時は会社の業績など抜きにして,本気で生徒の将来を心配しましたね……。親としては良かれと思って“進歩的”な教材を渡したのだと思いますが,あれは『教科書』の教える歴史(=文科省史観)を理解したうえでなければ《差》を感じ取れません。対抗(カウンター)は,本流(メイン)が無くては成り立たないものです。
 さて本書について。冒頭のカラー口絵に「ルネサンス人一覧」という図が載っています。通説的な歴史観に染まっていると,この表を見た瞬間に驚愕します。なんと,ダンテが登場するのは6番目。すなわち「ダンテが『神曲』を著したことでルネサンスの始まりが告げられた」という価値観から自由なのです。かかる位置づけに驚ける人にとっては,実に興味深い本でしょう(言い換えると,伝統的な歴史観を持っていなければ凡百の書物に過ぎないと感じられるであろうもの)。
 で,代わりにルネサンスの始祖として置かれるのは聖フランチェスコFrancesco d'Assisi, 1181?-1226),そして,フリードリッヒ2世Friedrich II, 1194-1250)。ここでまたびっくり。だって宗教家と政治家ですよ! どうして!?
――という疑問に答えるのが第1章「フィレンツェで考える」。見事に塩野の企みに(心地よく)嵌められました。その後の章は,時代を下って中心地が移動するのに合わせ「ローマで考える」「キアンティ地方のグレーヴェにて」「ヴェネツィアで考える」と進んでいく。もう面白かったのなんの。