ラヴェンナ

 列車を乗り継いで東へ向かい,アドリア海に面する世界遺産ラヴェンナ(Ravenna)へ。ゲルマン人の襲来を受けた西ローマ帝国が,404年にミラノからラヴェンナへ首都を移す。西ローマが滅んで後は東ゴート王国の首都となり,540年には東ローマ帝国(ビサンチン帝国)が征服し総督府が置かれた。しかし,その後には歴史上の重要な位置を占めなかったことが幸いして5〜6世紀の遺物が保存されている。

 まずはサン・ヴィターレ教会(Basilica di San Vitale)に詣でる。建物は空から見た時には八角形をしており,後の時代の聖堂では主流になる十字の形をしていない。

その正面を飾るのは,実に見事なモザイク画。ここラヴェンナは初期キリスト教芸術にみられるビザンチン様式の至宝が集まっている古都。金色の光をまばゆく放ちながらも,緑と紅が引き締め役を担っている。ただただ圧倒されるばかり。隣接するガッラ・プラッチーディアの廟(Mausoleo di Galla Placidia)は,密やかさを備えた墓所の中へ,アラバスターで造られた小窓から仄かな光が差し込む。
 ネオニアーノ洗礼堂(Battistero Neoniano)もまたモザイクの殿堂。「キリストの洗礼と十二使徒」はラピスラズリ・ブルーが実に鮮やかに映える。
 バスに乗って町外れの草原にそびえるサンタポッリナーレ・イン・クラッセ聖堂(Basilica di Sant'Apollinare in Crase)へ。今でこそ干上がってしなっているが,かつてこの周囲にはカエサルが開いた軍港があったのだという。初期キリスト教時代には最大の教会だったというが,堂内に立ってまず思うのは明るさである。ゴシック期の大聖堂では,石造りで壁面の多く背の高い堂内に小さな窓から薄明かりが差し込んでいる――というのが定番である。それが,この建物は明るい。ロマネスク的な光の具合とも違う。まるで,公民館のような造りなのだ。教会建築が一つの様式を確立する前の,原初の時代を垣間見た思い。
 市街に戻ってきて,駅の近くにあるサンタポッリナーレ・ヌオーヴォ聖堂(S. Apollinare Nuovo)に向かう。ガイドブックでは大きく取り上げられていないものの,私の一押しはここだ(二番手が洗礼堂)。左右の壁面には殉教者の列。身にまとった白い衣装と,背景に散りばめられた淡緑が印象に残る。
 教会内では写真撮影ができないためにお目にかけることはできないのが残念である。興味を持たれたら,中村好文=芸術新潮編集部編『イタリアの歓び 美の巡礼 北部編』(ISBN:4106021005)を手に取ってみることをお勧めする。ラヴェンナについて詳しく取り上げていることはもちろんであるが,このシリーズの特質である写真の豊富さが良い。
 また,今回のイタリア滞在ではエミリア=ロマーニャ州(Emilia-Romagna)を中心に歩いて回ったが,エミリア街道に沿った町を徹底して取り上げている本は,旅名人ブックス『ボローニャパルマポー川流域 イタリアとイタリア史の縮図』(ISBN:4822222152)をおいて他には無い。必携書と言って良いと思う。
イタリアの歓び―美の巡礼 北部編 (とんぼの本) 旅名人ブックス57 ボローニャ/パルマ/ポー川流域
 最後に詩聖ダンテの墓に詣でて,ラヴェンナを後にする。