小林章夫 『召使いたちの大英帝国』

 去る日曜日,移動中の機内で小林章夫(こばやし・あきお)『召使いたちの大英帝国』(ISBN:4896919351)を読む。

 19世紀の大英帝国における使用人を視覚的に,かつ手際よく把握しようとするならば,村上リコ森薫『エマ ヴィクトリアンガイド』(ISBN:4757716435)の方がまとまっている。家事使用人にあった厳格な序列――男性であれば家令(House Steward)や執事(Butler)/フットマン(Footman)/近侍(Valet),女性では侍女(Lady's Maid)/家庭教師(Governess)/乳母(Nurse)/メイド(Maid)――が図示され,そこに森薫による挿絵が添えられているので,視覚的に理解できる。

エマヴィクトリアンガイド (Beam comix)

 それに対して本書は,いかにも英文学研究者が書いたもの。労働者たちの賃金のような実態の把握であるとか,仕事の「手抜きの仕方」といったウィットに富んだ視点が多く含まれている。特に第5章「貞操の危機――主人と使用人の緊張した関係」は,裏の事情を垣間見られて興味深い(子どもを孕んで捨てられてしまう例や,逆に結婚相手をつかまえた例などが紹介されている)。他にも,ウェット・ナース(乳を与える乳母)の求人広告(胸ならびに乳首の状態についての要求項目)であるとか,俗信(お乳の出を良くするためにビールを1500ccを1日4回に分けて摂取することが奨励されていた)など,下世話なことではあるけれど実態を伝える小ネタを豊富に提供している。
 また,第7章「貴族の没落と召使いの変化」では,(1)新興実業家の経済力が貴族のそれを上回ったことの他に,(2)第一次世界大戦において貴族の子弟が命を落としたため,召使いを使いこなす能力を備えた人材を失ったことや,(3)新大陸アメリカに渡った召使いが本国に還流してきたときに,主人との関係が変化したことなどを述べている。制度の隆盛期のみならず衰退期の事情についても触れているところに本書の価値があろう。