ユリイカ総特集「西尾維新」

 先週の土曜日,大学院での討論を終えて帰宅したところ突如として倒れる。丈夫ではないけれど低空飛行(cf.菱沼さん)というのが特質だったのですが……。前に倒れたのは,留学中に水あたりを起こした時だから4年ぶりか。それからの4日間は,水分補給のために立ち上がったのを除いて横になって過ごす。
 火曜日の夕方,だいぶ復調してきたので外出。文学研究科の院生が近く発表する予定の西尾維新論を聞きに行く。その内容は口外できないので伏せますが…… 代わりに,参考文献として読んだ『ユリイカ』2004年9月増刊「総特集 西尾維新」号(ISBN:4791701240)の話題を。
 時期的には〈戯言シリーズ〉全6作がまもなく完結するだろう,という時期に編まれたもの(裏表紙の広告では『ネコソギラジカル』が3か月連続で発売予定であると告知されている)。すでに同年2月には〈戯言シリーズ〉の外伝として位置づけられる『零崎双識の人間試験』(ISBN:4061823590)が上梓されているほか,同年7月には『新本格魔法少女りすか』(ISBN:4061823817)が,そして前年11月には『きみとぼくの壊れた世界』(ISBN:4061823426)が上梓されている。1つのシリーズが終幕を迎えようとする時期であると同時に,新たなシリーズが次々と幕開けを迎える時期でもあったわけで,並みいる執筆陣の間からは熱気が立ち上がっている。西尾維新の作家論(初期編)を語るには,これ以上の時期はなかったろう。
 笠井潔が〈ジャンルX〉という側面から取り上げているのは当然としても,ミステリー作家としての西尾維新について論じているところが面白い。笠井は西尾の作風を評して「探偵小説形式は複数ある抽斗のひとつ,作家として使いこなさなければならないスペックの一項目に過ぎないようだ」と見る。そして,同じようなスタンスをとる作家として清涼院流水の名を挙げ,「清涼院流水の継承者としては唯一,西尾維新が形式からの逸脱を目指しているようだ」という。
 これを2006年1月に発表された「限界小説書評」と照らし合わせ,『ネコソギラジカル』以前/以後としてみると温度の低下が感じ取れる。それでも『ネコソギ〜』を探偵小説の問題として捉え論じてしまうあたり,笠井の剛胆さを再認識する。

 その点,同じ探偵小説研究会のメンバーであっても,西尾を「あえて」推理小説という枠組みに当てはめてみようとしていた蔓葉信博の叙述には,終始一歩引いた感がある。

 全体を通じて,西尾維新をミステリーの文脈で読むことに注力しているのが本書の特徴だろう。2007年にならば,このような企画は立てないと思う。

  1. 巽昌章 西尾維新vs新本格
  2. 野崎六助 西尾維新vs京極夏彦
  3. スズキトモユ 西尾維新vs麻耶雄嵩
  4. 佐々木敦 西尾維新vs舞城王太郎
  5. 山田和正 西尾維新vs佐藤友哉

このうち,山田の文章はそもそも読むに値しない出来。佐々木は〈セカイ系〉をふりかざして流されて話が咬み合っていないけれど,まぁ仕事はしている。野崎による京極論とスズキの麻耶論は,いずれも西尾のルーツという位置づけで論じているので手堅い。だが,西尾のその後を知っている2007年の目から読んでみると賞味期限は切れているように思う。この点,西尾維新〈まっとうな通俗性〉を備えた物語作家として捉えている巽の論考は汎用性があるために古びてはいない(池波正太郎江戸川乱歩にまで通底するような話題なので古びようがない,と言うべきか)。ただ,その巽にしても,西尾維新の作品が有する特質を表現しきれていないのは否めない*1
 今日的状況から遡って言及する強みからすると,ミステリー作家として西尾維新を把握しようと努めた企画それ自体が位置づけを読み誤っていた感がある。もっとも,本書のおかげで歴史的小括(ならびに2004年時点における捉えられ方の記録)はできているわけで,西尾維新の作家論としては重要な文献であることに間違いはない。
 執筆者の顔ぶれを見て懐かしいと思ってしまうのは佐藤心。しかし……西尾維新と対比されるべき作品として『カードキャプターさくら』『GUNSLINGER GIRL』『シスタープリンセス』『ご近所物語』『少年少女ロマンス』の5作を挙げているのは如何なものか(それでこそ佐藤心だ,とも)。

*1:余談ですが,先日,巽昌章さんからはコメントを頂戴いたしました(id:genesis:20070131:p1)。感心をお持ちの方は,この機会にご一読ください。