乙一 『暗いところで待ち合わせ』

 夕方,ちょっと不機嫌になることがあった。夜にやろうと思っていた予定を取りやめて,乙一(おついち)の『暗いところで待ち合わせ』(2002年,ISBN:4344402146)を読む。疫学的経験則に沿えば,軽度の精神荒廃はビールと乙一の処方を以て治癒する。
 本作のプロットは,

「警察に追われている男が 目の見えない女性の家に だまって勝手に隠れ潜んでしまう」

というもの(作者自身がそう要約している)。このプロットだけでも面白いですよね。しかも本作は文庫一冊分の長編だから,状況提示が終わってから後,作者がどのように話を持っていくのか考えを巡らせながら読み進める楽しみもできる。プロットを出発点として,ミステリーになるのか,ホラーになるのか,はたまた純愛小説になるのか――
 本作では,視覚障害を持つ女性ミチルが,ささいな異変から潜んでいる者の存在に気がつきます。しかし,侵入者の存在を信ずるに至ってからも通報などはせず,変わらぬ生活が営まれます。女性視点の描写と男性視点のそれとが交互に編まれ,丹念な心理描写が織り込まれていくことにより,この奇妙ではあるけれども慈しみに満ちた連帯の風景が広がります。
 殊に,テーブルの上にシチューの皿を2つ並べ,《目に見えない存在》の反応を伺うところが秀逸。岡野史佳1/2FAIRY!』(ISBN:4592118480)の中で紹介されている英国の民間伝承

「妖精・精霊が人間の仕事を手伝う,または,悪さをしないという前提のもとに,ミルクやパンを分けてあげる」

を想起する一場面でした。