中井英夫 『虚無への供物』

 ずいぶんとご無沙汰していたのですが,ミステリー読書会へ。
 今回のお題は中井英夫(なかい・ひでお)『虚無への供物』(ISBN:4488070116)。1954年に起こった洞爺丸事故に着想を得て書かれ,前半部分を書き上げたところで1962年の乱歩賞に応募し,1964年に単行本として刊行された,1954〜55年を舞台とする小説。
 刊行当時には《アンチ・ミステリー》の呼び声とともに世に送り出され,笠井潔が『探偵小説論』において展開する〈大量殺戮〉言説の取りをつとめる――らしい。説明を聞いても納得がいかないのは,そもそもの《ミステリー》が割合に懐が深いジャンルであるので,反対(アンチ)と称されてもしっくりこない。むしろ《パロディ》と位置づける方が相応しいと感じた。第一ならびに第二の事件をめぐって展開される4人の〈探偵〉による8つの推理は,少なくとも〈ノックスの十戒〉を知らないと合点がいかない(知っていると,本作で展開されるトンチンカンな推理が莫迦莫迦しくて楽しい)。
 文庫(創元ライブラリ「中井英夫全集」版)だと680頁まである長大な読み物。なのに,あまりに「ひざかっくん」な結末。この作品がランキングに度々登場し,幾度も版を重ねられているというのが分からない。果たして先人達は,本作のどこを面白いと捉えたのか……。いみじくも乱歩が評しているように,ミステリーとしてはダメダメなのに。
 本作を風俗小説として読むときには実に面白いです。昭和30年代初頭における男色酒場(ゲイ・バァ)やらシャンソンやらについての詳細な描写が生き生きと展開して見どころになっていることは分かる。それから詩的で優美な文章。衒学(ペダントリー)に充ち満ちているのも特徴。京極夏彦についても衒学性が高いと言えるだろうが,京極堂シリーズなどでは読者に示された一件無関係とも思える数多の情報が最終的には謎解きで収束する。それに対して本作では,ひけらかして放ったまま。
 結局のところ,本作で掲げられている《無意味な死に対する観念的意義付け行為》というテーマにはさっぱり共感できなかったわけです。