Lost In Translation

 映画『ロスト・イン・トランスレーション』を観てきました。ちなみにスペインでの話。日本では、間もなく公開される予定とのことです。
 サントリーでいちばん高いウィスキーの広告に出演するためにやってきた俳優(ビル・マーレイ)と、カメラマンである夫に付いてきた若き妻(スカーレット・ヨハンソン)とが主人公。言葉が通じない街の中で、連れ添うべき人との間にきしみを抱え、共にそれぞれの淋しさを持つ2人は次第にうち解けていく――
 舞台は東京。タクシーから見えるのは渋谷の街角。2人が出逢うのはパークハイアット東京(新宿)。正規料金は、1泊52,000円から。41階にあるというバーの眼下に広がる夜景が美しかった。そんなところでカクテルを傾けてみたいけれど、あの1杯だけで私の使っている安宿の1泊ぶんぐらいするんだろうなぁ。
 感想。いい映画でした。ところが、どこが良かったのを説明しようとすると、非常に苦慮する作品なのです。ソフィア・コッポラ監督は孤独感を描いてみせているのですが、そのせいなのでしょう。「寂しい」というのは、喜怒哀楽といった動きを伴う感情ではなく、穏やかな存在ですから。音楽は、掛け値なしに秀逸でありました。情景にあった、美しい旋律が心に残ります。これもまた、映画の好評価に対し多分に寄与しています。
 さて、舞台が日本であるということについて。この点、ともすれば日本人にとっては負の作用をもたらしてしまうかもしれません。私は、東京にやって来た外国人の視線を上手く表現しているな、と思いました。周囲のスペイン人達の様子を観察していたのですが、笑う場面が違うんですよ。例えば、ホテルのエレベーターにて。枯れかかった男性がいっぱい詰まっている中で、頭1つ背が高い西洋人がいるというコマ。何気ない情景描写ですから、日本人ならここではクスクスっとならないでしょう。なるほど、異国に対する小さな驚きが随所に散りばめられているのです。しかし差異が強調されてはいても、誤解されたり曲解されているようなところは無かったので、安心して観ていられます。日本から見たスペイン観が、「闘牛+フラメンコ+パエージャ=情熱の国」という公式で構成されていることに比べれば、はるかに有りのままの姿に近いのではないでしょうか。
 作品の舞台は、主人公達の言葉(英語)が通じない無国籍な都会であれば良かったのでしょう。もし数年後にこの映画が撮られるなら、舞台は北京かソウルに移っているかもしれません。日本が未だ見捨てられていないことを、幸いに思うべきでしょう。どうも私には、日本が過去1世紀に渡って有していた東アジアにおける地位というものが、あとしばらくで時効を迎えるような気がしてならないんですよ……
 日本人にとって残念なのは、投げかけられている「わからない言葉」が理解できてしまうというところでしょうか。作中、主人公達に向けられた言葉(日本語)を、わざと訳さない場面が出てきます。日本人なら字幕版であれ吹替版であれ双方のことが分かってしまうので、「何を言われているのか分からない」という焦燥感が伝わってきません。“Lost In Translation”になれないのです。
 ちなみに先日『ラストサムライ』のことを散々にけなした私ですが、あれは時代と物語の考証が滅茶苦茶であったことにいらついたのです。『ロスト・イン・トランスレーション』の世界には、すんなり入っていけましたよ。
 そうそう。冒頭に出てくる、お尻。とっても綺麗でしたよ〜(*^^*)
http://www.lit-movie.com/



http://d.hatena.ne.jp/kmiura/20040223#p1
http://d.hatena.ne.jp/kmiura/20040304#p1