マリア様がみてる

マリア様がみてる (コバルト文庫) マリア様がみてる―黄薔薇革命 (コバルト文庫) マリア様がみてる―いばらの森 (コバルト文庫)
 第3巻まで読了。
 不明なのは、どうしてこの作品がムーブメントを呼ぶに至ったのか。第1巻を読んだ時点では、軸となっていた4人(福沢祐巳小笠原祥子紅薔薇さま白薔薇さま)について概要をつかむことができただけである。第2巻は、脱け落ちていた黄薔薇ファミリーの補充といった趣。進行は、やや冗長といっても差し支えなかろう。それが良くもあり、悪くもあり。展開についても驚きは少なく、コバルト文庫に特有の「けだるさ」の上にたゆたっている。
 作品を通しての特徴は「姉妹の契り」という制度であるが、これを解きほぐしてみると (1)お嬢様学校という閉鎖空間における(2)同性同士の(3)学年差を伴った関係で行われるロザリオの授受(告白)という要素に分解できる。一般社会での異性交遊ならお相手を選ぶだけで大変だが、三要素が明確に定まっているぶんだけ組み合わせを発生しやすかろう。女性×女性のカップリングを単独で登場させると「異常」であるが、それが「通常」であるという状況を醸し出している。なるほど、今野緒雪が創出した「スール」という小道具は面白い。だが、そのうえに立って物語を生み出すという作者の力量は、いまひとつ物足りない。第3巻の後半「白き花びら」には文章に力強さがあるけれど、それにしても心に響いてくるというようなものではなかった。
 いや、もしかすると、この物足りなさが『マリみて』ブームの遠因なのかもしれない。味付けが薄いが故に、読者の側では空想を広げたり組み合わせを変えてみたりと色々いじりやすくなる。女子校を舞台にしたものということで紺野キタひみつの階段』との対比を考えてみたのだが、模倣の難易度にかなりの差異がある。より具体的に言うと、私立リリアン女学園の模倣は容易に出来ても、祥華女学院を再現してみせるには相当の力量が必要だろう。珈琲や紅茶なら嗜好が出てくるが、水なら嫌われることもない。かといって、純水だと何の味わいもない。さしずめ『マリア様がみてる』は、うっすら百合味をつけたミネラルウォーターということだろうか。
 私としては、ここから流れて紺野キタさんの叙情感に親しんでくれる人が増えてくれればいいなぁと思うのですが。
cf.: id:samoku:20040323
cf.: id:izumino:20040314#p1
cf.: http://www.arianrhod.com/kita/