すべてがFになる

 森博嗣すべてがFになる』読了。
 きっかけは、TINAMIX。原田宇陀児氏がゲームとミステリーについて述べたくだりで「ミステリは、もう新本格の次の世代に踏み込んでいるんじゃないでしょうか」という箇所の具体例として、京極夏彦と並んで出てきていたのが森博嗣でした。1990年代の動向も知っておこうと思い、取り寄せてみた次第です。
http://www.tinami.com/x/interview/04/ 〔第10節を参照〕
 本作は、1996年に発表されたデビュー作。

14歳のとき両親殺害の罪に問われ、外界との交流を拒んで孤島の研究施設に閉じこもった天才工学博士、真賀田四季(まがたしき)。教え子の西之園萌絵(にしのそのもえ)とともに、島を訪ねたN大学工学部助教授、犀川創平(さいかわそうへい)は一週間、外部との交信を断っていた博士の部屋に入ろうとした。その瞬間、進み出てきたのはウェディングドレスを着た女の死体。そして、部屋に残されていたコンピュータのディスプレイに記されていたのは「すべてがFになる」という意味不明の言葉だった。

――表紙見返しより引用、読み仮名は引用者による

という密室殺人です。特徴的なのは、密室を作りだしているのもアリバイを立証しているのも、すべてコンピューターであるということ。研究施設のあらゆる機能が、真賀田四季の独自開発したUNIXにより制御されているのです。建物の扉は手のひらの光学スキャンで開け閉めされるし、事件の起こった部屋への出入りはカメラにより監視されキャプチャー映像として保存されているし、外部との交信もネットワークを介して行われる。
 確かにこれは、1990年代にならなければ生まれ得なかったものです。列車時刻表を用いたトリックは鉄道網が発達しなければ用いることが出来ないように、コンピューターを用いたトリックは情報処理技術が進展しないと仕掛けることが出来ません。コンピューターを初めて効果的に用いたミステリィという点で、記憶されるべき作品でしょう。
 表題にもなっている「すべてがFになる」。真賀田四季が残したメッセージですが、これは特定の知識がないと解けません。逆に言えば、ある読者層に対しては謎でも何でもないですね。『刑事コロンボ』のように謎が明かされていく過程を見るのが楽しみな人にはどうでもいいことですが、「読者への挑戦」に挑むことをミステリーの真骨頂と考えている場合には不公平に働く部分です。本文が始まって6頁目、殺人事件はおろか探偵役の犀川創平が登場すらしていないところにある四季の台詞、

「私だけが、7なのよ……。それに、BとDもそうね」(新書版15頁)

リトマス試験紙でしょう。これを疑問と思わないだけの素養があれば、ミステリィとして読むことが出来ます。OSの異常動作の理由についても、「パッチを当てた形跡はまったくないんです」(新書版105頁)のところで、にぶい私ですら仕掛けに気づいてしまいましたし。ちなみに私ですが、近時の本格ミステリを代表する綾辻行人だけは、◎h!FMで谷山浩子さんが紹介していたというきっかけで読んでおりますが、一度たりとも解けたことがありません(泣)
 それでも、殺人動機の部分はわからなかった。本作では動機の探求こそが要であるので、またしても破れたと認めるべきでしょう。事件の発端は【倫理観を備えた理性】を取り払わない限り考えつかないですね。う〜ん、犯したい衝動を掻き立てる対象を目の前にしたら、簡単に野性に帰ってしまうものなのかもしれませんけれど、まだそういった境遇になったことないからなぁ。
 コンピューターをふんだんに使って仕掛けを講じておきながら、肝心なところは人間の物語として描いているところは評価に値します。いや、本作の舞台となった研究所は過度に人工的な空間だったもので、「犯人は手製の殺人ロボットでした」という落ちも受け入れてしまうような気分になっていたのですよ(^^;)
 謎が明かされたところで最初に戻り、冒頭の真賀田博士の発言を読み返してみると、摩訶不思議。最初は支離滅裂に見えた戯言だったのに、すべて論理的に正しいことを語っているではありませんか。まったく、実に美しく仕上げられたパズルです。
 面白かったと思いながら本を閉じ、表紙を見たところで愕然としました。副題が“The Perfect Insider”だったとは……。やられた。完膚無きまでにやられました。

すべてがFになる (講談社ノベルス) *1
http://www.asahi-net.or.jp/~WF9R-TNGC/subetef.htmlリウイチさん)
http://cross-breed.com/archives/200403281936.php (ayuさん)
id:asedaruma:20040118
http://sv2.humeco.m.u-tokyo.ac.jp/~minato/cgi-bin/bookres/1223124718.html (中澤港さん)
http://www.sancya.com/book/book/liter_01.htm (フジモリさん)

 ミステリとしての部分を離れて、もう少し。事件の起こった研究所は、情報はすべてネットワークを介して行き来し、物理的な接触はほとんど行われないという場所が舞台なもので、【現実】について示唆的な議論を幾つか展開しています。例えば犀川は、分散社会となった未来において、「個人の現実」とは他人に干渉を受けないものに向かうだろうとの予測を立てる。そのうえで、萌絵の反論に対し、次のように述べている。

「ほとんどの人は、何故だか知らないけど、他人の干渉を受けたがっている。でも、それは、突き詰めれば、自己の満足のためなんだ。他人から誉められないと満足できない人って多いだろう? でもね……、そういった他人の干渉だって、作り出すことができる。つまり、自分にとって都合の良い干渉とでもいうのかな……」(新書版260頁)

 文中では、自分と戦って負けてくれる都合の良い他人の例としてゲームを挙げています。しかし考えてみると、現在のネットワーク社会の人間関係は、「都合のいい干渉」で組み立てられています。名前(真名)を明かさない、アドレスも秘匿する、面倒なことになったら「逃げる自由」を盾に取って消える。そのくせ、ブログ(weblog)のリファreferer)が返ってくるのを心待ちにする――
 犀川助教授の言う未来は、すでに現実として此処にあるのでしょうか。

*1:文庫版(ISBN:4062639246)も刊行されている。