Pamplona

 所要1時間20分で、ナバーラ州の州都パンプローナ(Pamplona、現地語でIrun~ea)着。アーネスト・ヘミングウェイが『日はまた昇る』でサン・フェルミンの牛追い祭りを紹介したことで有名になった町です。毎年7月上旬に行われるのですが、テレビでご覧になっかことありませんか? 白い服を着て腰に赤い布を巻き付けた人達が、牛の前を走るというの。で、転倒したところを追いつかれ、興奮した牛に角で刺されて死者が出るという、牛追いではなく「牛に追いかけられる祭り」。毎年数人は重傷を負い、時には死者もでます(ぉぃぉぃ) 地元民は逃げ方のコツを知っているので、犠牲者は物見遊山の旅行客から出るそうです。

 宿は、オスタル・ベアラン(Hostal Bearan)にしました。予約のために、電話をしたんですよ。そうしたら「空室あるよ。日本人でしょ?」と言うではありませんか。どうしてわかるのか聞いてみたら「うちに電話してくるのは、たいてい日本人だから」と朗らかに答えてくれました。実際に足を運んでみても、とても感じの良いところでした。TVあり/ドライヤーあり/セーフティボックスあり/ホース式シャワー/バスタブ付きのツインをシングル・ユースにして37ユーロ。宿の質はいいのですが、タクシーが入ってこられない歩行者専用通りにあり、受付がある1階(日本での2階)までは階段なので(客室まではエレベーターがある)スーツケースを引きずっての旅行では避けた方がいいかも。
 それでは市内に繰り出します。13時10分、閉館まであと30分少々のナバーラ美術館(Museo de navarra)へ駆け込む。日曜日のため入場無料。見かけより大きく5層になっていまして、ローマ時代のモザイクから近代絵画まで幅広く集めていました。
http://www.cfnavarra.es/cultura/museo
 この日は日曜日。観光案内所が閉まっているため、地図が入手できませんでした。でね、迷いました(汗) 方向感覚が私の自慢なのですが、さすがに地図が無いと何処に行ったらよいのかわからない。しかも、美術館を出たら、ちょうど太陽が南中している時刻だったのですよ。いつもは影の方向で東西を把握しているのですが、わからなくなって。北東へ行こうとしたのに、正反対の方角(城塞公園)へ行ってしまったのです。函館の五稜郭みたいな城壁にぶち当たり、ようやく間違いに気づきました。
 へとへとになって旧市街に戻ってきたのが、14時45分。ホテルの斜め向かいにあったレストラン・アサドール(Asador)に飛び込みました。あまり吟味せずに入ったのですが、おいしかったのですよ。前菜は、ジャガイモをくり抜いて惣菜を詰めクリームソースをかけたもの。主菜は、白身魚を焼いてオリーブオイルをたっぷりかけたもの。もう、冷たく冷やした赤ワインがくいくいっと進みます。デザートにアロッス・コン・レチェ*1、食後の珈琲まで頼んで13ユーロ。
 気づいたら、デカンタが空いてました。当然、飲み過ぎ。ふらふら〜とカスティーリョ広場のベンチに座り込み、はっと気づいたら1時間眠ってました。お日様がポカポカして気持ち良かったし。居眠りをしても何も起こらないほど、のんびりした町でした(でも、他の人には危なくて勧められません)。
 17時の鐘で起き出し、市役所とカテドラル(大聖堂)を見に行く。それから、今度は間違いなく北東の角へ。カバーリョ・ブランコという洒落た居酒屋があるのですが、その前の坂道を降りていくと、町を囲む城壁の外に出ます。そのまま進んでいくと、アルガ川にかかる美しいサン・ペドロ橋へ。川縁の光景を楽しんで町に戻る。それからエンシエロ(牛追い)の経路を歩いて、疑似体験。闘牛場までの800mを走り抜けるのだそうですが、私なら開始数秒後に天に召されるだろうなぁ。だって、100m走20秒超の校内(マイナス)記録保持者ですから。スキーだけは札幌の標準水準で出来るのですけれど。
 あとは気の赴くまま、新市街の方を歩いてみました。
 20時に、パンプローナ在住の友人と待ち合わせてバルを3件はしご。話していて、ナバーラ地方の人は気質がいいよねぇ〜となごみました。あとね、女の子がかわいいの。私はどうしても小学校低学年くらいの娘さんを観察対象にしてしまうのですが*2、髪の毛がふわふわで、顔つきがかわいらしいの。はにゃ〜ん。そう思うのは私だけかと思っていたら、話し相手(女性です)にも同じ事を言われて、間違いないと確信しました。少女はパンプローナに限ります。

▼ 写真を加えた旅行記
http://barcelona.sociallaw.info/noreste/idx_ne.html

*1:お米を牛乳で甘く煮込んだお菓子

*2:化粧をするようになると、素体の質がわかりませんからね