細雪 (1)

 「細雪(ささめゆき)」《上巻》読了(新潮文庫、全3巻、ISBN:4101005125)。
 知人に、是非読んでみるといいと勧められて借りてきたもの。気分がゆったりしている時に読んだ方がいいと助言されたことに甘え、もう二箇月近く放ったらかしにしてありました。週末、ピピッとくるものがあって、読み始めました。
 作者は谷崎潤一郎――名前は知っているけれど、何処でだったのか思い出せない〜。すると《下巻》の解説(著:磯田光一)に、説明がありました。「将来の妻をガキのうちから手塩にかける究極のたらしヤローの話」*1 こと『源氏物語』の現代訳を手がけた方でしたね。私は円地文子の訳を好んで読んでいたので、忘れておりました(^^;)
 本作を粗っぽくまとめると「群像絵巻」とでもいうべき体裁を取っています。この表現は読んでいるうちに頭の中に浮かんできたものなのですが、図らずも『源氏物語』を評して良く用いられる言葉です。《上巻》を読み終えてから解説を見たのですが、「この古典的な物語文学の世界(筆者注:源氏物語を指す)の世界を、雄大なスケールをもって現代に蘇生させようとしたのが『細雪』である」と書かれていて、なるほどと思いました。
 物語は、かつては大阪で知らぬ者のいない大店であった有産階級・蒔岡(まきおか)家の四姉妹をめぐって展開されます。

長女:鶴子 
37歳。本家の嫁。三男一女をもうけている。のんびり性。
次女:幸子 
分家の嫁。葦屋(芦屋)在住。だだっ児じみたところがあり、妹たちにたしなめられることもしばしば。
三女:雪子 
30歳。未婚。体つきが華奢で、肺病を患っているかのようにに見える。言葉数が少なく、なかなか気心が知れない。日本趣味。
四女:妙子 
25歳。陽気で朗らか。西洋趣味。器用で、人形製作に精を出している。思い人がいるが、雪子の縁談がまとまらないために、順番待ち。

――女ばかり四人の姉妹だと、役割分担は似てくるのでしょうか。御存知『若草物語』はもとより、Leaf痕−きずあと−』にも構成がそっくりなところがあります。そんなわけで私の脳内における蒔岡姉妹は、「柏木千鶴柏木梓柏木楓柏木初音」によって代替されております(笑)
 《上巻》では、なかなか良い相手が見つからない三女・雪子を中心に進んでいきます。大正時代に全盛を極めたものの、父の死の前後で家業は傾きはじめ、今ではすっかり昔日の面影を失っていながらも、格式や体裁にこだわる旧家の暮らしが描かれています。年譜を見ると、『源氏物語』の訳出を終えたのが昭和13年(1938年)で、本作『細雪』の執筆に取り掛かったのが昭和17年(1942年)。戦時中の言論統制によって連載の中断を余儀なくされ、世に出たのは昭和21年(1946年)から翌22年にかけてのことだそうです。
 舞台は、昭和10年代前半。執筆時には、当時の上流階級の生活を克明に記したものであったのでしょうが、半世紀を経た今日、なかなか想像するに難いところが多くあります。時代背景については、細江光氏による注解が充実しており、大変に参考になります。この脚注を見ているだけでも面白い。文化住宅*2、職業婦人*3、ラジオ蓄音機*4、円タク*5、白系露人*6御真影*7ユーハイム*8、ライカ*9――などなど。自分が生まれ育った国でありながら、二ないし三世代も前のことは、下手をすると外国のことよりも分からないもの。
 風雅で、たおやかで、繊細な筆致で綴られた物語です。
http://kamakura.cool.ne.jp/chaccu/(イメージ画像の出典)

*1:岡野史佳君の海へ行こう』108頁

*2:大正11年の平和記念東京博覧会の文化村に出品されてから流行し始めた、外観と応接間だけ洋風にした和洋折衷の住宅。以下、いずれも注解より引用。

*3:当時、良家の女性は家事・育児に専念するのが当然とされ、職業を持つのは、貧乏なためにやむを得ずする恥ずかしい事と考えられていた。

*4:ラジオ受信機と電気蓄音機を合体させたもの。

*5:市内均一、一円で走るタクシー。

*6:1917年のロシア革命後、ソビエト政権に抵抗した白衛軍を支持し、その敗北後、国外に亡命したロシア人のこと。

*7:天皇皇后の公式肖像写真。

*8:第一次世界大戦の際、中国・青島で捕虜になったドイツ人カール・ユーハイムが、大正12年、神戸市三宮に開いたドイツ菓子店。日本で初めてバウムクーヘンを作り、人気を博した。

*9:携帯用小型カメラの商品名。この頃は、一台五百円(現在の通貨価値で100万円)もする非常な贅沢品だった。