心病める人たち

 岩波新書の『心病める人たち ―開かれた精神医療へ―』(ISBN:400430122X)読了。
 著者の石川信義(いしかわのぶよし)氏は精神科医で、自ら精神病院(三枚橋病院)を経営している。著者の主張をまとめると、精神障害者を施設に収容するのではなく、社会の中で生活させ地域で支えていくべきだ――というもの。
 分裂病の発病率は、人口千人あたり8人なのだそうです(25頁)。思いの外に高い数字に驚きました。もっとも、適切な治療を受けられれば、短期の療養で社会に帰っていく。問題の所在は、年に数%ほど発生する「社会に戻れない」患者。面倒を見てくれていた親が死んだりすると、帰る場所がなくなってしまい、病院に留まらざるを得なくなる。それが毎年数人の割合で発生していくと、十数年後には精神病院が慢性患者で埋め尽くされてしまうのです。その解決策が地域化、すなわちノーマライゼーション
 1990年に上梓された本なため、記述には古いところがあります。その後の動きを、手元にある法学書で補足しておきましょう。

 1993年の改正により、地域生活援助事業(グループホーム)が法定化され……社会復帰施策のよりいっそうの充実が図られた。(中略)これらの施策により、わが国においても、強制入院を中心とした制度から、社会復帰を前提とした地域社会における精神保健福祉体制に移行したといえる。
有斐閣アルマ『社会保障法』旧版より引用(改訂2版は、ISBN:4641122032

このように、法制度の上では、石川氏の主張は実現しています。しかし、現実はどうでしょう。筆者は、身近に精神障害者の姿を見かけること、そして、彼らが危険な存在でないことを直に知ることが、差別と偏見をなくすための道筋なのだと言います。まさしく、その通りでありましょう。では、近頃、精神障害者の姿を見かけるようになったでしょうか? 10年以上経って、何か実態での改善があったのかというと、はなはだ疑問と失望を感じざるを得ません。いくら法律面が整備されようとも、変わったことが肌で実感できなければ、何も変わっていないのと同じです。
 本書を読んでいて、高齢者問題と重なる部分が多いと感じました。痴呆が進んで手に負えなくなり、家族で支えられなくなったところで老人保健施設に送られるというのが、今日もっとも多いシナリオでしょう。私の祖母も死の直前を施設で過ごしました。見舞いに行くと、「事故防止」のための「管理」を優先した冷たい施設と、「作業効率」を考えなければならぬほど大量の老人を看護する職員の姿とを見て、こんな所に来たくはないものだと思ったものです。
 精神病院が気楽に出かけられるようなところになること。それが自殺者を出さないためにも急務です。日本では、2003年度には34,427人もの自殺者が出ています*1。同時期の交通事故死者が7,702人であることに比べると*2、何と多くの人が自ら命を絶っていることか。以前、過労の末に自殺した電通事件*3 を調査したことがあるのですが*4、心が弱っている時に相談できる相手がいることの必要性を痛感したものです。この問題に関わる研究者としては、「ちょっと精神科に行ってきます」と言えるような環境の構築に努めねばなりません。
――精神病院は、刑務所ではない。
――施設と名の付くところは、人の住まう場所ではない。
 なんとも暗たんたる思いで、読み終えました。
http://www.sanmaibashi-hp.com/
http://myshop.esbooks.yahoo.co.jp/myshop/noguchi1109?shelf_id=01(書評)
http://www.asahi-net.or.jp/~pb6m-ogr/qqqqq.htm#q8

*1:警察庁生活安全局地域課の発表による。資料は
http://www.npa.go.jp/

*2:平成16年版「交通安全白書」による
http://www8.cao.go.jp/koutu/taisaku/index-t.html

*3:最高裁第二小法廷判決・平成12年3月24日・労働判例779号13頁

*4:http://sowhat.magical.gr.jp/thesis/g_ronbun_03.html