OVA 成立史

 何気なく“OVA”の項目を見たところ、本質を明らかにしていない解説文のような気がしてきたので……

 家庭用ビデオデッキの普及が進んだのは、1980年代後半のことである。1988年に普及率は53%に達している。βの敗北が濃厚となり、VHSがデファクトスタンダードとしての地位を確立したことが背景にあると言えよう。
cf. http://www.yomiuri.co.jp/net/feature/20030911fe01.htm
 それにあわせ出現したのが、レンタルビデオ店であった。この時期に、テレビで放映されていない番組をビデオで見る、ということが定着したのである。
 もともと、本質的に収集癖を持つオタクの間では世間一般に比してビデオデッキの普及は早かった。また、観たい作品のためなら出費を惜しまないという消費行動をとる。そこで、お金を払って見るアニメーションとして、OVAが登場したのである。OAVを専門に扱う雑誌『アニメV』(学研)が創刊されたのは1985年6月のことであった。
 その初期の作品例としては、『ガルフォース』や『プロジェクトA子』(いずれも1986年)を挙げることができる。この2作品は、劇場版からOVAへと移行してシリーズ化した。それまでの、単発作品の発表の場といえば映画であった頃の名残といえよう。
 テレビ放映作の続編がOVAとして制作された例としては、『きまぐれオレンジ☆ロード』(1989-90年)、『機動戦士ガンダム0080』(1989年)、『機動戦士ガンダム0083』(1991年)など。原作付きのものは多数あるが、さしあたり『ああっ女神さまっ』(1993年)を挙げておくにとどめる。
 ビデオ作品を主軸として展開された、オリジナル性の強い例としては、『ドリームハンター麗夢』(1985-87年)、『戦え!!イクサー1』(1985-87年)、『バブルガムクライシス』(1987-91年)、『魔物ハンター妖子』(1991-94年)、『万能文化猫娘』(1992-94年)、『天地無用!魎皇鬼』(1992-95年)、そして『トップをねらえ!』(1988-89年)がある。
cf. http://member.nifty.ne.jp/teraji/
cf. http://www.anime-int.com/works/
 OVAが成熟をみせた1990年の前後は、連続幼女誘拐殺人事件(1988-89年)の影響でオタク文化が抑圧されていた頃でもある。1991年11月には、性表現を含むゲームソフトウェアがわいせつ物として摘発されるということも起こっている。テレビ放映されるアニメは数が減少し、勢いが無かったということも、OVA発展の要因として考えられよう。もっとも、この時期といえども、アニメが完全に閉め出されたわけではない。『らんま1/2』(1989-92年)、『ふしぎの海のナディア』(1990年)、『姫ちゃんのリボン』(1992年)、『ママは小学4年生』(1992年)、『ミラクル☆ガールズ』(1993年)などが制作されている。しかし、意欲的な作品を発表する舞台はOVAに移っていたこと言って、間違いはなかろう。
 1992年、『美少女戦士セーラームーン無印)』が大ヒットしたことで、状況は好転。「アニメを見せ、メディアミックスを展開し、関連商品を売る」というビジネスモデルが拡大。1994年の『赤ずきんチャチャ』や『美少女戦士セーラームーンS』で、テレビ回帰の流れは決定的となった。OVAからテレビへの発展も起こりはじめる。
 しかし、OVAの制作が途切れたわけではない。1990年代中期のものとして『KEY THE METAL IDOL』(1994-97年)や『魔法使いTai!』(1996-97年)がある。テレビで放映するには適さない構成の作品をOVAで――という棲み分けが起こった例と言えよう。内容面からOVAに向かったものは、「同級生2」(1994-98年)、「きゃんきゃんバニー」(1996年-)など、ギャルゲーを原作とするものに多い。
 衛星波で潤沢にアニメ番組が放映されるようになったことで、アニメーションをめぐる状況は大きく変化した。本解説は、20世紀における歴史的状況の整理を試みたものである。

――という文章を書き加えておきました。締め切り前の逃避行動ってやつですね。ちょっと自信の無いところが幾つかあるので、不備に気が付かれましたらご指摘くださいませ。