エコロジー的思考のすすめ

 立花隆エコロジー的思考のすすめ――思考の技術」(1971-90年、ISBN:4122017645)読了。
 中公文庫収録作であるが、もともとは日本経済新聞社から上梓された単行本「思考の技術――エコロジー的発想のすすめ」。題の正副が入れ替わっているのは、1971年の時点では「エコロジー」という用語が通用しなかったためだという。
 エコロジー生態学)の語源はギリシア語の oikos(家、経済)+logos(論理) であることから、筆者は「生物界という自然の経済学である」と把握する(29頁)。つまり本書は、自然の中にある関係をみることで、人間社会を考察しようとするものである。最後の結論は、もっと自然を畏怖せよということになるのだが(214頁)、考察の射程がとてつもなく遠大である。
 これが「石油を燃やすと地球の温暖化が進みます」といった狭い視点で書かれていたのであれば、データが変わると書物としての価値はなくなる。ところが立花氏は、ベクトルのはじまりを自然界の生態に求め、そこから現代社会に向けて線を引き、そのうえで「その先」に何が生じるのかを考察していく。エコロジーを説いているのではなく、生態学の発想を用いた《思考》の産物なのだ。それ故に、本書は30年以上を経た今日でも価値を失っていない。むしろ数々の《予言》が、ことごとく的中していることに驚かされる。これが立花氏が31歳の時に書かれた実質的デビュー作だということにも驚嘆する。
 本書が書かれた1971年といえばオイルショックが起こる直前であり、高度経済成長を謳歌していた頃。そうした世相の直中にあって、数十年後を見通す洞察力は、神懸かり的であろう。その立花隆が引いたベクトルの先は「人類は破局を迎え、昆虫類が地球の優占種になる」というもの。その理由付けが面白い。荒れ地に芽生えた地衣類は、繁茂することで土壌を自らに不利なものに作り替える。植物が交代していくことで数百年後には森林となるが、密になりすぎた木々は衰えてしまう。こうした植物遷移を例に取り、増えすぎたヒトという種は、地球を自らにとって暮らしにくい環境に変化させているのだという。
 人類の降板は不可避だとしながらも、その時を先延ばしするための方策も示されている。ご一読あれ。