殉死

 司馬遼太郎殉死」(1967年、ISBN:4167105373)読了。
 日露戦争では旅順要塞攻略軍を率い、明治天皇崩御した際に自決した人物、乃木希典について綴った文章。冒頭、筆者は本作を小説としてではなく、小説になる以前の思考材料である、と断りをいれている。事実、かき集めた情報を、事件の当事者からやや離れた視線で捉えている。
 本書は二部構成をとっている。前半の「要塞」は、『坂の上の雲』のプロット版ないし簡略版といった趣である。自ずから後半の「腹を切ること」が主題と密接に関わる。
 司馬は、乃木を《陽明学》という視座から捉えようとする。曰く、「おのれが是と感じ真実と信じたことこそ絶対真理であり、それをそのようにおのれが知った以上……行動をおこさねばならず、行動をおこすことによって思想は完結するのである」と説く。故に、この思想の系譜に属するものは、劇的に生涯を終える例が多い。
 江戸中期、山鹿素行(やまがそこう)は幕府にその思想を嫌われ播州に流されたが、藩主・浅野内匠頭長直が厚く遇した。赤穂藩に陽明思想があったことが、大石内蔵助赤穂浪士の討ち入りを生んだという。
 江戸時代、武士階級が起こしたクーデターの希有な例として、大塩平八郎の乱がある。彼は陽明学派の重鎮であった。
 ペリー来航時に出た吉田松陰もまた同じであり、乃木は松陰と近しい間柄であった。西南戦争にあって武装蜂起を起こした西郷隆盛にしても、陽明学の人である。
 陽明学に内在する、思考の純粋性を何よりも尊ぶ思考が乃木の行動を規律していた、というのが司馬の示すテーゼ。あまりに儚い。