大学院はてな :: 入社前研修への不参加を理由に内定を取り消せるか?

 昨日は研究会にて,宣伝会議事件*1の検討。
 原告Xは,A大学大学院工学系研究科の大学院生(博士課程に在籍)。科学ジャーナリストを目指していたところ,B教授の紹介を受け,環境問題に関する雑誌を出版するY社から採用内定を受けた。当初は行き違いがあったが,年度末までに博士論文の審査を終える状態になることを採用条件とし,平成15年度に新卒採用されることとなった。採用内定にあたりY社の人事担当Dから,10月から2週間に1回,多少の課題が出される2〜3時間程度の研修に参加しなければならないことなどの説明を受け,Xも研究に支障はないとして同意した。(6月17日)
 Y社では入社前研修を実施しており,内定者に対してはレポートの作成などの課題が課されていた。内定通知の際,その内容は次の通り。

  • 第1回内定者懇談会(8月20日) マンスリーレポートを9月以降の毎月提出する
  • 第2回内定者懇談会(10月1日) Y社が出版する雑誌7種類と書籍4冊に目を通す,広告関連書6冊と出版関連書6冊も読む,「当社の事業領域」というテーマでレポートを提出する,Y社主宰の「宣伝会議賞」43課題すべてについて1作品以上作成する,など
  • 第1回入社前研修(10月23日) 朝刊2紙を読んで記事をスクラップし次回以降の研修に持参する,「広告業界について」というテーマでレポートを作成する
  • 第2回入社前研修(11月6日) 「出版業界について」というテーマでレポートを提出する
  • 第3回入社前研修(11月20日) 広告会社20社の社長と社長名を暗記する,雑誌でタイアップ広告を探しコピーする,主要4媒体以外の広告を調べレポートを提出する,レポート「当社の事業領域」を再提出する
  • 第4回入社前研修(12月4日) 「環境ビジネスの市場分析を今後の展望」というテーマのレポートを提出する

 これらの課題は,消化のために1〜2日を要する分量であった。Xも毎日2〜3時間ずつ時間を割くことになり,研究との両立に困難を感じた。これが博士論文執筆の妨げになるとみたB教授は,12月6日,Y社の代表者に対し,次のように依頼し,返信を受けた。

 B教授「当方のXですが,今,博士論文作成の正念場に来ておりますが,貴社の新入社員のための事前教育のノルマがきつくて,どうも博士論文作成のためにいささかの障害になっているようです。理系の学生にとっては,この時期,もっとも大切な時期ですので,なんとか免除していただく訳にはいきませんでしょうか。ご検討くだされば幸いです。」
 Y代表「メール内容,了解しました。」(後略。この後には懇親会についての返答が続く)

 これを受けたB教授は,研修の参加は免除された旨をXに申し渡した。ところが12月24日,Y社の人事担当者EからXに研修不参加の理由を問いただすメールが送られてきた。XはB教授に相談したが,回答の必要はないと助言されたため,これに従った。
 Yの人事担当者Dは,翌年3月25日,Xに対しYへの入社を希望するのであれば,直前研修に必ず参加することを要求したが,Xは,直前研修に参加すれば論文審査終了は難しくなると説明した。Dは,博士号取得よりも直前研修の方が重要であると考え,Xに対し,博士号に係る条件は採用条件から外したので直前研修に来るよう求め,そうでなけれな4月1日の入社を取りやめると通告した。XはB教授と相談し,論文審査を延期して研修に参加することとした。
 3月26日から3日間に渡って行われた直前研修の終了後,Xに対し,研修が遅れているとして,試用期間を6箇月に延長するか,博士号取得後に中途採用試験を受け直すかのいずれかを選択するよう求めた。
 Xは,3月28日20時頃,Dに電話をかけ,4月1日に入社するが試用期間延長は認めない,中途採用になるのであれば再面接を行わずに採用するように求めた。Dは,これに応じなかった。
 XはYに対し,3月31日,内定辞退の事実はなく,内定を取り消されたものであるが,かかる状態では通常の業務に就くことは出来ないから出社しないことを内容証明郵便で通知した。
 なお,内定を受けた者のうち1名は,本件研修と学業の両立が困難であるとして,内定を辞退している。
 以上が,事実の概要。「身につまされる事件だよね〜」と院生が落ち込んだ,というのはさておき――。
 裁判所は請求の一部を認容。金額の算定にまつわる問題はさておき,内定者側の全面勝訴と言って良い内容。以下,判決の説示部分である。

 「効力始期付きの内定では,使用者が,内定者に対して,本来は入社後に業務として行われるべき入社日前の研修等を 業務命令として命ずる根拠はないというべきであり,効力始期付きの内定における入社日前の研修等は,飽くまで使用者からの要請に対する内定者の任意の同意に基づいて実施されるものといわざるを得ない。
 また,使用者は,内定者の生活の本拠が,学生生活等 労働関係以外の場所に存している以上,これを尊重し,本来 入社以後に行われるべき研修等によって学業等を阻害してはならないというべきであり,入社日前の研修等について同意しなかった内定者に対して,内定取消はもちろん,不利益な取扱いをすることは許されず,また,一旦参加に同意した内定者が,学業への支障などといった合理的な理由に基づき,入社日前の研修等への参加を取りやめる旨申し出たときは,これを免除すべき信義則上の義務を負っていると解するのが相当である。」

 冒頭の部分について補足。採用内定の法的効力についてはこれまでにも争われてきたところであるが,大日本印刷事件*2により「採用内定によって労働契約そのものが成立する」という見解が採用され判例となっている。すなわち,採用内定から入社日までの間であっても,労働契約が締結されているので解雇制限法理の適用があることになる。
 内定期間中における権利・義務関係については学説に争いがある。(1)内定期間中に労働契約は成立しているものの,その効力は入社日までは発生しないので,研修へ参加したりレポートの提出する義務は負わないとする効力始期付き労働契約説,(2)労働契約の成立により法的効果は発生し,就業規則の適用も受けるとする就労始期付き労働契約説である。判例も分かれており,前掲・大日本印刷事件は(2)を,日本電信電話公社近畿電気通信局事件*3は(1)を採っている。
 本件では,さらっと述べているが(1)の立場に立つことを表明しており,採用内定を「効力始期付き解約権留保付き労働契約」であるとしている。つまり,本件では労働契約とは別に「研修契約」とでも言うべきものが同時に締結され,任意の同意によって入社前研修が実施されるものと考えている。そうすると,わざわざ「信義則上の義務」を持ち出す必要も無かったように思われるところ。「研修契約」の不履行に対する報復的制裁(サンクション)として「労働契約」の解消をすることは出来ない,とすれば済むところだろう。
 請求額は1年分の賃金相当額616万円余であったが,裁判所は(1)1箇月分の賃金19万6000円,(2)精神的苦痛に対する慰謝料50万円,(3)弁護士費用10万円を認容した。これは,5月1日からA大学の生産技術研究所に非常勤職員として採用され,勤務しながら研究を継続していることを捉えて,4月分だけを遺失利益としたもの。これは不適切であり,Y社に1年分の賃金相当額を支払うよう命ずべきであったと考える。Xは,Y社で就労していれば得られていたであろう賃金の支払いを受けられるようにするのが相当である。これは,損害賠償請求として本件を提起した訴訟戦術の失敗。もしこれが地位確認請求であれば,満額を遺失利益としたうえで,中間収入の問題として控除する処理がなされていたかもしれず,この方が適切な解決であったように考える*4
 ともあれ,労働者/学生/大学関係者にとっては画期的な判決である。もっとも,これが採用内定全般に通用するかというと疑わしい。本件では,工学系の博士課程学生であり,大学教授が学業への差し支えがあることをはっきり認めていることが大きく影響している。このような事情が無い事案であれば,卒業できなかったのは学生側の怠慢であるとされて内定を取り消されるのがオチだろう。

*1:東京地裁判決 平成17年1月28日 労働判例890号5頁 裁判官:筯永謙一郎

*2:最高裁第二小法廷判決 昭和54年7月20日 民集33巻5号582頁 〔→ 判決文

*3:最高裁第二小法廷判決 昭和55年5月30日 民集34巻3号464頁 〔→ 判決文

*4:使用者の責めに帰すべき事由で解雇された労働者が,解雇されていた期間中に他の職に就いて利益を得ていた場合,解雇期間中の賃金を支払うにあたって当該利益(中間収入)の額を賃金額から控除すること。この際,労働基準法26条の定めるところにより,賃金額のうち平均賃金の6割に相当する分については控除することができない。