大学院はてな :: 日勤教育を苦にした自殺

 JR西日本尼崎電車区事件(大阪地裁判決・平成17年2月21日)*1の判決文を精読する。
 2005年4月25日に発生した福知山線の事故により「日勤教育」は一躍知られるようになったが*2,これは脱線事故の起こる2か月ほど前に出されていた判決。日勤教育についてはマスコミ報道で扇情的に書き立てられていたけれども,ここでは裁判所の認定をもとにして,その一例を把握しておこうと思う。
 結論を先に述べておくと,本件における事実関係の下では,被災労働者を救済したくとも難しいように思う。感情的には納得いかないのだけれど……

事案の概要

 被災者たる運転士Zは,昭和32年生まれ。昭和51年に高校を卒業し,旅客運送事業を営む被告Y社の前身たる公共企業体に入社。以来,機関士および運転士として勤務していた。
 事件の発端は,2001(平成13)年8月31日。京都駅に到着後,進行方向を逆にするための操作(エンド交換)を行った際,新運転台のレバーサーを「切」から「前」にすべきところ,これを怠ったため,旧運転台の表示灯(ATS-P電源)が点灯したままになっていた。これに気づいたのが発車時刻の少し前だったため,発車予定時刻である午前5時43分55秒より55秒前後遅れて,電車を発車させた。なお,この電車は午前7時35分,定刻通り西明石駅に到着している。ここでZは,京都駅に於いて出発が遅れたことを担当係長に報告した後,引き続いて高槻行き電車に乗務した。
 報告を受けた尼崎電車区長Aは,Zから事情を聴取する必要があると考え,同電車が尼崎駅に到着した時点でZを降車させることとした。事情聴取の報告を受けて,A区長はZに対し日勤勤務の指定を行った。日勤教育の期間は予め定められておらず,その終了の可否の判断は,区長に委ねられていた
 以下,日勤教育の内容。長文に渡るため,かなり割愛している。双方の発言を殆ど省いているので,原文を読むと事件の印象が変わる可能性があることを指摘しておく。
 日勤教育1日目(9月3日)。

  • 09:00〜10:40 レポート 「京都駅に到着してから自分のしたことを全部書いてください。」
  • 10:40〜12:00 レポート 「なぜ今回列車を遅らせてしまったのか、また遅れ時分を見るのを忘れたのか」
  • 昼食中 Z「レポートが余り書けない」と述べる。
  • 13:00 E助役「この課題なら用紙の八割ぐらい書かないとだめだぞ」「給料をもらって勉強しているのでしょう。本来運転していれば一日三万円ぐらいでしょ」。
  • 13:00〜14:00。レポート 「出発連動をきっちりやっていないことにより、どういう事故を起こす可能性があるか」
  • 14:00〜15:00 レポート 「今回の日勤で反省すべき点、学ぶべきことを考えなさい」
  • 15:00〜16:00 レポート 「事故を起こすことにより誰にどのような迷惑がかかるか」
  • 16:00〜17:00 レポート 「基本動作はなぜ必要か?」
  • 17:00〜17:30 レポート 「今日を振り返って」
  • その後の同僚との会話で,Zは「こんなに日勤教育がきついとは知らなかった」などと述べる。

 日勤教育2日目(9月4日)

  • 09:00〜10:00 レポート 「基本動作の重要性、必要性について自分の考えを書きなさい」
  • 10:00〜12:00 レポート 「今までにあったヒヤリと感じたことを書きなさい」
  • 昼休み中 同僚に対し「「嘘でもええと思って作ったり他人のを思い出したりして書いて出した」「しんどい」などと述べる。
  • 13:00〜14:00 レポート 「塚口泊まりでなぜ起床装置のセットを忘れたのか、その原因と対策」
  • 14:00〜15:00 レポート 「西明石でなぜ小カードを忘れたのか、その原因と対策」
  • 15:00〜15:30 基本動作に関する知悉度テスト[1]*3
  • 15:30 Zが回答できなかったため制限時間を延長
  • 16:00 Z「これ以上思い出せない」 E助役,基本動作基準の資料を見ながら記載するように指示。
  • 16:15〜17:00 基本動作に関する知悉度テスト[2]*4
  • 17:00〜17:40 レポート 「今日を振り返って」
  • 17:40 E助役は,各テストの成績が悪かったためにZが少し落ち込んでいるように感じる。同僚LがZに声をかけるが返事はせず,明らかに元気がなかった。
  • 21:30ころ 同僚Lが電話をかけたところ,「書けない」「もうがんばれない」「頭が痛くてレポートが書けない」と繰り返す。
  • 21:30ころ Zは同僚Gに電話をかけ「クリスチャンでは自殺は大罪なもんや」などと述べる。

 日勤教育3日目(9月5日)

  • 09:00 指導総括助役C,Zに対し知悉度テスト成績が悪かったのを注意。さらに,交番係長に対して月末までZに電車の乗務をさせないよう,Zに聞こえるような言い方で指示。
  • 09:00〜10:00 知悉度テスト[2]の解答
  • 10:00〜11:00 レポート 「なぜ基本動作の知識がないのか。それについてどう感じたのか」
  • 11:00 E助役,レポートを読んでZは書くのが苦手なのかと感じる
  • 11:00〜12:00 レポート 「基本動作で今までできなかったと思うところはないかと思いだして書きなさい」
  • 昼休み中 Z,E助役に対し,1日目に作成した「今までにあったヒヤリと感じたことを書きなさい」という課題のレポートについて虚偽の事実を記載した旨を申告。
  • 13:00〜14:00 保安装置学習会に参加
  • 14:30〜15:30 レポート 「どういうところをうそをついたのか。なぜうそをついたのか。その時の気持ち」
  • 15:30〜16:30 レポート 「基本動作の知識がないと、どういうことになると思うか」
  • 16:30〜17:00 レポート 「基本動作の知識を高めていくために、どうしたら良いと思うか」
  • 17:00〜17:40 レポート 「今日を振り返って」
  • 夕食時 同僚に対し「一か月は日勤してもらうと言われた」「全然書けない」「日勤がこんなにきついとは」などと述べる。

 自殺(9月6日)

  • 06:00 当直のF係長に対し,電話で「頭が痛い」と申告して年次有給休暇を取得。
  • 15:30 同僚2名が帰宅途中にZ宅を訪問したところ,首をつって死んでいるのを発見(死亡時刻は14:00ころと推定)。遺書なし。

裁判所の判断

 以上が本件で認定された事実の概要である。さて,このような事案では,訴訟類型として大まかに3パターンが考えつく。
 まず(1)使用者の業務命令が権利濫用(民法1条2項)であると主張して,業務命令の無効確認を求める。本件ではZが死亡しているので,請求の意味がない。次いで(2)違法な業務命令により精神的損害を負ったものとして,不法行為民法709条)に基づく損害賠償を請求する。一般的(つまり労働者が生きていて働き続けている場合)には,(1)と(2)を同時に提起することが多い。
 本件では,Zがうつ状態に陥って自殺したことに使用者や上司に過失があったものと主張し,(3)雇用契約上の安全配慮義務に違反(民法415条)したものとして訴訟を提起した*5。請求額は1億1000万円で,訴えの相手は会社と上司3人。
 結論は,請求棄却(敗訴)。裁判所は,次のように述べる。

 日勤教育と一郎の自殺との間に条件関係のあることは否定できないと考えられるところ,権利侵害行為と結果(損害発生)との間に法律上の因果関係があるというためには,単に条件関係があるのみならず,行為と損害発生との間にいわゆる相当因果関係があると認められることを要すると解すべきである。

 そして,相当因果関係を認めるためには,

日勤教育を命じ,これを受けさせたことによってZが精神状態を悪化させ,その結果自殺したという結果について予見可能であったことを要するというべきである。

 日勤教育が不愉快で精神的苦痛を伴うものであることは,裁判所も認めている。そして,Zがレポート作成に呻吟し,精神的苦痛を感じていたことについても,上司らは認識し得べきであったことも認めている。しかし,

  • 1) 日勤教育は他の運転士に対するものと格別変わりはなく,「客観的に肉体的・精神的負担が過大なものであったとは認められない」し,Zについては3日間に過ぎないこと
  • 2) 自殺念慮を窺わせる言動をしたり,精神状態が極めて悪化し,自殺の可能性を予見できるような様子を示したとは認められないこと
  • 3) 鑑定意見(後述)
  • 4) 自殺の当日朝,電話で年次有給休暇を取得した際,次の勤務日を確認していること
  • 5) 自殺の前日にZと飲酒したり会話した同僚も,まさかZが自殺するとまでは予想していなかったこと

などを挙げ,

管理者として十分な注意を払っても,Zが三日間の日勤教育によって精神状態を悪化させ,自殺するに至ったことについて予見可能であったとは,およそ認めることはできないというべきである。

として,相当因果関係の存在を否定している。
 私見。この事件,労働者から発せられるシグナルが微弱で,Zがうつ状態になって自殺の危険性があることを周囲が察知できたとは認めがたい。それ故,事実関係としては日勤教育が自殺を引き起こしたのだろうとは言えても,法律的に相当因果関係を肯定するのが困難なのです。お気の毒なのですが……。

鑑定意見

 本件では4名の識者による鑑定意見書が提出されている。興味深いものだったので,最後に記しておく。

京都大学医学部医師 R.Y.
 「日勤教育という業務上の負荷によりうつ病に罹患し,その結果自殺したものである」。

大阪市立大学名誉教授 Y.K.(神経精神医学)
 「外因分析:業務上のミスから合計三日間の日勤教育を課せられた結果,多少なりとも生活に変化が生じたことは確かであろうが,その結果,「思考」が悲観的に傾いたり,当惑,困惑状態に陥ることはあっても,それは一過性のもので,「死への衝動」が「生の欲望」を圧倒して「自殺観念」「自殺企図」に至ったとは認めがたい。日勤教育中のレポートを見る限り,「激しい心理的ストレス」が加わった形跡は皆無であり,むしろ,最後のレポートは,「自殺観念」「自殺企図」からは、ほど遠い内容となっている」。

東洋大学 K.K.教授(社会心理学
 「統制不可能な状況,すなわち随伴性の欠如した事態を体験すると,動物に学習性無力が生ずる。学習性無力は、様々な「対応」がすべて問題解決に失敗する事態で生じる。現在のひどい事態を脱するのに何が役に立つのかわからない,どうすればよいかわからない,何をやってもうまくいかない。そのような状況から,何もできないのが学習性無力である。
 人間の場合でも,状況が強力であれば,動物と同様に学習性無力が起こる。状況が相対的に弱い場合には、
認知スタイルなどの内的な要因(素因)が重要となり,個人差が現れることが考えられる。つまり,無力に
なる者とならない者が出てくる。なお,学習性無力の現象においては,主観的な要素が決定的に重要であり,
状況が統制不能であるという事実よりも,本人が統制不能と信じ込む悪影響が重要な意味を持つ。
 学習性無力には,絶望感すなわち主観的統制不能感がともなう。絶望感が絶望性うつの直接的な原因であ
る。絶望性うつが原因となって自殺が起こる。」
 「日勤教育は,学習性無力を強力に発生させる,随伴性が欠如した事態である」。日勤教育は,以下の各点に於いて,心理面でのひどい扱いである。

  • a 否定的な出来事: 「運転士にとって苦役ないし処罰であること,同じような課題を繰り返すこと,罵詈雑言や侮辱的罵声を浴びせられること等。日勤教育は非常に否定的な,誰もが避けたい〈地獄のような〉ひどい事態である」。
  • b 恣意的な管理と強要: 「意図の不明なレポート作成を強要される,レポート用紙の八割を書きなさい,レポートの評価基準が不明,終期について客観的基準がない等。職階を絶対的なものとし部下に絶対服従を強いる。従業員教育であれば本来あるべき明確な目的・手段と評価の基準がない。意図の不明なレポートなどは,統制不能感を押しつける仕組みになっている」。
  • c 困難ないし不可能な課題: 「ルールとはどういうものか,サービスとはどういうものか,過去に注意・指摘を受けたことをすべて列挙せよ,事故を起こしていない者に書けない課題等。困難ないし不可能な課題を強要されると,統制不能感を著しく生じさせる。いくらやってもできないことを繰り返し強制的にやらされると強力な統制不能感が起こる」。
  • d 統制感の剥奪・行動の自由の制限: 「一日中管理者に固まれた机に座らされる,誰とも会話することなく黙ってレポートを書く,トイレに行くにもお茶を飲むにも許可が必要,日勤教育中であることを他の職員に対し言わせられる等。行動の自由の制限は学習性無力の原因となる。自分ではどうすることもできない,会社や上司の思いのままであるというメッセージが,無力感や絶望感を生じさせる。」
  • e いつ終わるかわからない: 「教育期間の終期を明示しない,いつになったら乗務できるか不安が生じる等。いつ終わるかわからない,自分で終わらせることができないしどうすることもできないということも、自己の無力さを思い知らせ、絶望感を強力に引き起こす。」

 「Zの場合は,急性で重度の症状が出たために自殺が起きてしまったと考えられる。(中略)Zは,学習性無力が起こり,絶望性うつのために,自らの命を絶ったのである。」

龍谷大学教授 O.S.教授(臨床心理学)
 「K.K.教授が紹介する基礎理論は妥当であるが,K.K.教授の意見は,日勤教育の実態,雰囲気,状況について綿密な分析もないままに理論を当てはめ,あまりにシンプルに答え(Zの自殺の原因)を導いている点で妥当性を欠くといわざるを得ない。」

*1:掲載誌は,判例時報1889号75頁,労働判例892号59頁。

*2:著名な裁判例国鉄鹿児島自動車営業所事件最高裁第二小法廷判決・平成5年6月11日・判例タイムズ825号125頁)というものがあり,この企業グループに〈職場いじめ〉の体質があることについて労働法研究者の間では衆知のことだったと思う。

*3:〔1〕始発駅で行う確認項目・喚呼方法・確認方法,〔2〕出発連動動作で行う確認項目・喚呼方法・確認方法,〔3〕添乗報告の方法の3項目を問うもの。

*4:〔1〕信号機の喚呼方法・確認方法,〔2〕後部確認指定駅,〔3〕振り分け停車場での運転線路を確認する時機,〔4〕進路予告機の喚呼を省略する信号機を答えるもの。

*5:なお,本件では(2)不法行為も同時に主張されている,