小林標 『ラテン語の世界』

 小林標(こばやし・こずえ)『ラテン語の世界――ローマが残した無限の遺産』(中公新書ISBN:4121018338)読了。
 ひとまずこの一冊を読んでおけば,ラテン語の果たした(そして現在も果たしている)役割が把握できる。ラテン語の文法解説は最小限にとどめながら,ラテン語の特質を見事に浮き彫りにしている。確かな筆致には,全幅の信頼を寄せられよう。
 著者が説くラテン語の〈強み〉の1つめは「増殖力」。

 「言語資源の再利用の可能性,それは生命力の強さと言ってもよいと思うが,それについてはラテン語に勝る言語はない。」(102頁)

と述べ,派生語*1を作る能力がラテン語の内部にあることでもたらされるダイナミズムを誇る。
 〈強み〉の2つめは,「形式と意味の関係の論理性」。ラテン語では名詞は名詞の,動詞は動詞に特有の形式性があり,整然としたヒエラルキーが堅持される。
 そして,次のようなセリフが飛び出す。

 「言語学においては,諸言語の価値の高低を論ずるのはルール違反である。しかし,言語の魅力の高低を論じるのは許されるはずだ。筆者はときどき思うのだが,ラテン語をよく学んだ人は,等しく近代語を〈堕落した言語〉と見てしまうのではなかろうか」。(106頁)

この,ラテン語が有する厳格さは著者にも伝播しているようで,微に入り際に入り〈堕落〉した状況をチクリチクリと批難する。この著者について学ぶのは,ちょっとご遠慮したいかも……(^^;)
 ラテン語の成立から消滅に至るまでの歴史的な経緯にも目配りが行き届いており,実にそつがない。散らばった諸言語の母胎にあたるものでありながら誰も見たことのないものを仮に〈印欧祖語〉として想定し,ラテン語の前史についてを考察する箇所(34頁以下)は,言語学者がどのような関心を持って研究をしているのかも感じ取られて面白かった。
 文学史に関わる部分(第VI章と第VII章)は関心が無かったので読み飛ばしたものの,知的興味を存分に満足させてくれる好著でした。

*1:接頭辞 re-, pre-, post-, sub-, de-, con-, anti-, inter- あるいは接尾辞 -ive, -al, ity, -able, -itude などを駆使することで英語でも派生語を作るが,これもラテン語起源。