大学院はてな :: 障害者更正施設での寄付強要

 研究会にて,札幌育成園事件の検討。社会福祉法人Yの運営する知的障害者施設Aに入所していたXが,入所期間中に受給していた障害基礎年金を不法に領得されたと主張し,相当分を損害賠償として請求した事案。
 第一審*1は請求を棄却したのに対し,控訴審*2では請求一部認容と判断が変わっている。
 悪徳経営者が障害者を食い物にしていた!と週刊誌的に糾弾するのは簡単だが,問題はそう単純ではない。この事件を考えるうえでは,前提として次の点を踏まえておく必要がある。
 まず第1に,金銭管理を障害者本人には行わせず父兄互助会に委ねていたことであるが,これは当該施設に特有の事情ではない。日常的な金銭の支出を管理するに足りる能力に欠けている知的障害者の場合,金銭の浪費や紛失はもちろん,悪徳商法(押し売りなど)の犠牲になってしまうこともある。そこで,周囲の者が代わって金銭管理を行うことは一般的に行われていることである。
 第2に,社会福祉施設が寄付を募るのはシステム的に必要とされていたこと。もともと社会福祉篤志家によって慈善事業として営まれることを想定し*3,制度が設計されていたため,施設を運営していくのに必要な経費を利用者(障害者)から徴収していない。すなわち,利用者からの利用料は月々のフロー(食費・光熱費等の実費と職員の人件費)に相当する分のみに当てられ,ストック(施設建物)には充当されていない。従って,建物の減価償却にかかる費用を利用料とは別建てで確保することが,現行の社会福祉制度ではシステムとして要求されているのだ。これが,障害者施設と寄付行為とを切り離せない事情である。なお医療の場合には,医療機関に支払われる診療報酬の中にハードウェアにかかる分も含められており,制度設計がまったく異なる。
 第3に,寄付と言っても寄付した当人が受益者であるという点。理事長が寄付金を懐に入れていたのならば論外だ。しかし,寄付金が施設の修繕・改築などに当てられていた場合,障害者自身が受益者となる。現状では知的障害者を受け入れる施設は数が少ないので施設を移動することはあまり無く,かつては知的障害者が社会共同体へ「復帰」することは稀であったた。そのため,本件のような退所時における紛争が表面化してこなかったのである。
 そして第4に,Xが受給していた障害基礎年金(月々65,000円ほど)の使途。先に述べたように,施設入所者の場合,月々の生活にかかるコストは国庫負担によって賄われている。2003年4月に社会福祉サービス利用関係の法体系が変わり,措置制度から支援費支給制度に移行したが,利用者が負担しているわけではないことについては変わりはない*4。そうすると,障害者の「おこづかい」として年額80万円が支給されているとは考えがたい。一旦は障害者本人に年金を渡すが,そこから寄付という形で障害者施設のハードウェア更新に回付してもらうことがシステムにビルトインされていたと考えるのが筋だろう。確かに名義上は障害者のものだが,障害者本人が個人的な目的のために使い切ることを望まれていない性格の金なのだ(そのような体系を採っていることの是非は,また別な問題である)。
 上記のような事情を踏まえてようやく,判決の読み取りが可能になる。
 地裁では,このような社会福祉制度に理解を示し,障害基礎年金の全額を寄付させていても横領ではない――として,請求を棄却したのである。それに対して高裁が判断を変更したのは,入所時に取り交わされた「承諾書」が争点として浮上し,文言に不備があったことを認めたためである。

障害福祉年金及び生活保護日用品費の使途については園において互助会費として積立し 園生の日用品等の必要な物品購入,または園生のためになると園が認めた諸経費に使用することを承諾します。」

これが書面の内容であるが,この文書から〈贈与〉の意思を読み取ることはできないとして,当該金員の返還を拒んだYの行為は横領であると評価したものである。換言すれば,承諾書の文言をきっちりさせ,障害者から施設への〈贈与〉が真意によるものであると認められるのであれば良い――ということだ。
 本件紛争の舞台になった施設のやり口は汚かった,と言えるかもしれない。ただ,そのことと,社会福祉施設が制度的に寄付金を必要としていたこととは,分けて論じられなければなるまい。

*1:札幌地裁 平成16年3月31日 「賃金と社会保障」1411号50頁 〔→裁判所

*2:札幌高判 平成17年10月25日 「賃金と社会保障」1411号43頁

*3:憲法第89条には「公金その他の公の財産は,宗教上の組織若しくは団体の使用,便益若しくは維持のため,又は公の支配に属しない慈善,教育若しくは博愛の事業に対し,これを支出し,又はその利用に供してはならない。」とあるが,これは「社会福祉篤志家がやるもの」だった時代の名残。この憲法89条に慈善・博愛事業が入っているのは何故かというと,明治憲法の時代,日本最大手の篤志家は天皇であった(天皇が恩賜として貧民を救済していた)ことに由来する。政府が社会保障を担うことが確立された今日では意味を成さなくなった規定の代表例。私学助成の妨げにもなっている条文であり,憲法改正論議のポイントとなっている。

*4:但し,支援費支給制度の下では利用料を高めに設定し,ハードウェア(建物)の維持管理にかかる費用の負担を利用者に求めることが理論上は可能となった。